私はもっとかっこいいはずだ。

柳家さん花の「まだ名人になりたい」 第2回

けだるい心地良さ

 話は変わるが、寄席や落語会では、雨の日はお客さんが減る。

 だが、雨の日のお客さんは、いくらか普段より一体感が生まれやすい。濡れてまで来たのだからちゃんと元を取りたいためというのもあるが、それだけじゃない気がする。雨に濡れてまで落語なんかを聞きに来た自分や、まわりの同志の間抜けさに安心しているのではないだろうか。

 人は人間というものを馬鹿にしたいものだ。私は自分より弱そうな人じゃないと友達になれない。初対面で強気な人はもちろん、一見人当たりがよくても鋭いナイフを隠し持っているような人を前にすると、自然と心の扉が閉じていく。

 人は、大人になるにつれ、世間の荒波から自分を守るため、何某かの武器を隠し持つものだ。それでも中には、当人は危険な武器と思っているが、他人から見るとすぐ折れる棒切れのようなものを隠し持っている人がいる。そういう人を探しています。自薦他薦は問いません。ぜひ友達になりましょう。

 ところで今月のテーマは、梅雨だ。雨の日の思い出ばかり振り返ってきたが、梅雨はただの雨ではない。ひと月以上の間、雨が頻繁に降るのが梅雨。世の晴れ男、晴れ女はどこへ行ってしまうのか。

 私には雨の思い出はあるが、梅雨の思い出はなんだか漠然としている。生活のテンポが少し遅くなり、普段気に留めないものを物憂げに眺める。平凡か、もしくは劣等感の多い我々がナルシズムを密かに楽しむ。蛙やかたつむりも間抜けな見た目だが、案外自惚れ屋なのかもしれない。

(毎月1日頃、掲載予定)