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入門前夜
三遊亭司の「二藍の文箱」 第1回
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或る落語家の今昔往来(画:ひびのさなこ)
ステキな勘違い
文学や音楽、芝居に舞踊、講談、浪曲、そして落語にいたるまで、分類や種類を問わずその表現手段が、まるで自分の感情や衝動に名前をつけるために存在するかのように思えることが時としてある。いわゆる「これだ」と思ってしまった瞬間であり、「出会ってしまった」瞬間だ。なにをどう勘違いしたのか、神様わたしに――わたしの場合は落語ということになるのだが――落語を授けてくださりありがとう、と、そういう時のことだ。
それはたいていが勘違いなのだが、時にはステキな勘違いもあって、あの日からきょうまで、30年以上勘違いしたまま、ここにいる。
三遊亭 司。つまり、わたしのこと。わたしは昭和54年1979年10月2日東京の片隅、大田区に生を受ける。と、公式ではこうなっているが、細かく言うと神奈川県相模原市の病院で生まれる。わずかの間、品川区五反田に住み、生後間もなく東京都大田区の多摩川っぺりに転宅。いままで大田区内で三度引越しをしたが、いまだ多摩川の向こうと環七の内側には出たことがない。
3歳下に妹がいて、両親、祖母、曽祖母と、その曽祖母(ひいばぁちゃん)が2002年に亡くなるまで6人で暮らしていた。ちなみに、大師匠三遊亭圓歌の『中澤家の人々』には遠く及ばないが、祖母は母の母で、曽祖母は祖母の連れあいの母、家族ながら血のつながりがたいしてないのが面白い。
母方の祖父はわたしが生まれて間もないころ亡くなっているので、血のつながりはなくとも祖母と曽祖母は、祖父の死後20年以上暮らしをともにしたことになる。
と、ここらでよく知らない落語家のよく知らない幼少期は一旦割愛。