入門前夜

三遊亭司の「二藍の文箱」 第1回

落語の神様

 その談志師匠の著書で、三代目桂三木助を知ることになり、落語の描く人間の面白味のほかに、落語のもつ美学に触れることになる。それは江戸っ子の美学であり、東京人のもつ美しさ。そして、三代目の実子である四代目桂三木助には、その東京人特有の照れと繊細さがあった。それを結局、18歳のわたしは理解し切れずに勘気をこうむることになるのだが。

 華やかさの陰に、そのような繊細さや照れがあり、それがキュートさにつながるのが魅力の藝人だった。

 そんな師匠に弟子入りを志願しようと、当時はあたりまえのように刊行されていた芸能人名鑑に師匠の事務所の住所を探した。事務所というぐらいだから事務員やらマネージャーがいて、ひとまずおはなしだけでも聞いてもらおうと、住所を頼りにいざ行ってみると、事務所とは名ばかりで「桂三木助」の表札があった。

 きょうは見つからないかも知れないな、と、田端の駅を降りて5分後のこと。

 「待てよ、同姓同名ってこともあるか」
 そんな名前、あるわけがない。

 「もう少し探してみるか」
 だから、表札に名前があるじゃないか。

 「よし、自宅がわかっただけでも大変な前進だ、きょうは帰ろう」
 と、田端の街を半日歩き、公園のベンチに座り、また駅へと向かい歩いていた。なんて意気地のなさなんだろうと、笑ってもらえたほうがむしろ救われる。だが、あの日が27年後のわたしにつながるはじめの一歩ではじめの一日だった。

 わたしたちは、落語や師匠に愛されてこの世界に入ったわけでは決してない。師匠や落語を愛してこの世界にやってきた。それを深く思うに至ったのは、師匠桂三木助との二度の別れであり、師匠三遊亭歌司との出会いだ。このふたりの師匠から頂いた縁で、一門や楽屋の先輩後輩たちに導かれ、後押しされて、いまわたしはここにいる。

 きょうも落語をどれだけ愛せたか。毎日、落語を授けてくれた、あの日の神様にそう訊かれる。よし、あしたもその手に落語を預けおく、ゆめゆめ手放すでないぞ、善哉善哉。こうして、きょうもわたしは落語家でいられる。

 だから、やっぱり、神様わたしに落語を授けてくださりありがとう。

(毎月2日頃、掲載予定)