NEW
青春の終わりに入門。青春の始まりの入門 (前編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語
友なき噺家の道へ
漫才師といふところを落語家にあらためてみるに、
一、 漫才のように相方と呼吸を合わせることなしに、自分のペースで成立させられる。
一、 独り。自由を守ることができる。日本の自由べはなく、ブルース・ブラザース(1980年、米国の映画)劇中にてアレサ・フランクリンが熱唱するところのfreedomとしての自由。
一、 一人語りとしての落語の会話術、対話法の中に、未だ誰も取り入れていない新たなる技法を発見いたしました。驚くほどの波動が生まれる。これさえ知っていれば歴史を繙いてバラバラにした春風亭小朝師匠のような光明となるぞ! ヨシ!仕事猫的ヨシ!! ……技法は忘却いたしました。……記憶のエラーとして捉えられます。
一、 染色工芸地域、新宿区中井にて、父が東京手描友禅の絵師(模様師)でございますれば、親子二代で着物に携わることができる。着物(楽屋の符牒でモノキとは、まず使わない)はいいねぃ。漫才師になりたいので学校辞めると言って激怒した父は、なぜか黒紋付を誂えていてくれた。
一、 漫才師が最低一人の友人か、友人のフリをした人を巻き込まなければ成立しない結社なのに対し、噺家は一人。友人が一人もいない奴原でもなせる路でございます。
実際問題の話がょおぉーと、ここで名古屋圏にて多用される前置言を置きますが、噺家に友だちのいない人は多い。最低限、内儀のある人はお内儀さんくらいは友だちになってもらうべきでござんす。それもない人は、ぬこかわんこ。石亀だけが友だちの落語家もおり〼。
