阿修羅

林家きく麿の「くだらな観音菩薩」 第2回

嬉しさと寂しさ

 皆さん、私の言いたいこと、伝わりますよね。小さな会場の落語会でいつも見ていた噺家さんが、もう大きな会場でしかやらなくなった。落語会の後、打ち上げで楽しくおしゃべりしてくれたあの噺家さんが、もう簡単に口を効いてくれなくなってしまった。

 五万円で来てくれたあの噺家さんから「いやいや、三十万円じゃないと行きません!」とけんもほろろに断られてしまった。日高屋で餃子を食べていたくせに、もう麻布十番の一皿二千円の餃子しか食べなくなってしまった。ヘチマで体を洗ってたくせに、豚の毛でできたブラシで洗うようになってしまった、などなど。

 もちろん、応援していた方が売れることは素晴らしいのですが、手の届かない存在になってしまう悲しさ、寂しさってありますよね。

 第1回で書かせていただいた、百済観音様が大宝蔵院に入られたのはあんなに嬉しかったのに、人気者になってしまった阿修羅様に寂しさを感じるのは、なぜなのか? これってファンの心理なんでしょうか? 嬉しいけど寂しい感情……、あーっ、切ないよー。

 今、私は毎日楽しく落語ができて幸せです。

 あとは、毎年、宝くじで三億円くらい当たり続ける人生を送れたらいいな。そして、一皿二千円の餃子を食べて、お昼に食べた刺身定食の鰹の筋が歯の隙間に挟まっているので、歯間ブラシで掃除しながらへらへら笑っている人生が送れたらいいなぁと思っております。人の幸せって、そんなもんですよね。

 あと、私は良い人なので、売れっ子になってもお気軽に話しかけてくださいね!

(毎月16日頃、掲載予定)