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〈書評〉 五代目小さん芸語録 (柳家小里ん 著・石井徹也 聞き手)
杉江松恋の「芸人本書く派列伝 クラシック」 第2回
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小さんの教え
もしも自分に落語ができたら、これは座右の書になる。
読みながらそう思された本は、何冊かある。柳家小里ん・石井徹也(聞き手)『五代目小さん芸語録』(中央公論新社)は、その最たるものだ。仕事机から手を伸ばせば届く位置に、実際置いてある。何度も何度も読んでいる。
たとえばこんなとき。
私は落語の最中に入る中手、つまり途中のくすぐりや仕草を褒めるようにして起きる拍手が苦手だ。もっと苦手なのは「あれ、いつもだとここで拍手が起きるんですけど」と催促する演者で、それを言われると気持ちが醒めてしまうのである。
この本のどこかに、中手のことが書かれていなかったっけ。
そう思って探すと「うどん屋」のところにあった。屋台を引いて歩くうどん屋が出会う悲喜こもごもの出来事を描いた一席である。五代目小さんは健啖家で知られる人で、ものを食べる仕草にも定評があった。だから、小さんがうどんを食べれば拍手が起きる。それをどうしたか。小里んの証言を聞いてみよう。
小里ん (前略)ただ、あとになって「ホントだな」と感じたのは、「手が来たからって、そこで受けてるようじゃダメだ。総体がちゃんとした噺じゃなきゃいけなくて、なおかつ、受けたほうがいい」ということですね。その意味であ、「うどん食うところで手が来るようなら、そこでうどん食うのを止めちまえ。うどん食って手が来るようなら、すぐにお汁を飲んで止めちゃってもいいという了見でいろ。受けるからって演りすぎるな」と具体的に言ってくれました。
この一行を見たときは胸のすくような思いがした。もしかすると、中手を打たないと演者に悪いのかな、という気持ちもあるにはあったのだが、小さんが教える心構えはこうなのである。以来、中手は別に必要なものではない、という姿勢で私は通している。そういう風に教示を受けるところ大なのである。
『五代目小さん芸語録』はそういう本で、小さんの持ちネタ五十四本について、小里んが語り、石井が聞き手として話を引き出すという構成で書かれている。