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社会派講談の旗手 神田香織(前編)
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」第5回
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本牧亭の高座で剣舞を見せる香織
一時期、絶滅危惧種とまで言われるも、現在、東西合わせて120名を超えるまでになった講釈師。江戸から明治、大正、昭和と、主に男性が読み継いできた芸であったが、平成、令和と時代を経て、女性目線による女性の講談が世に送り出されてきた。その時、講釈師は何を考え、何を読んできたのか。第一線で活躍する女性講釈師に尋ねてみた。(神田香織先生の前編/中編/後編のうちの前編)
芝居から講談へ ~神田香織の芸の原点
『はだしのゲン』や『チェルノブイリの祈り』というヒット作を世に送り出し、その長年の取り組みから、昨年は「澄和Futurist賞」を受賞した神田香織。高座で取り組む演目は「社会派講談」と呼ばれることが多いが、その出発点は、昭和の名人の一人に数えられる二代目神田山陽への入門にある。芝居の世界から講談の世界へ飛び込んだ理由や師匠からの教え、そして名作との出会いまでを尋ねてみた。
―既に色々なところでお話をされていますが、改めて講談の世界に入るきっかけを教えてください。
香織 実は入門する前は、講談のコの字も知らなくて、演劇の勉強、お芝居の勉強のために講談と出会いました。師匠の神田山陽も「芝居をずっとやっていていいし、講談の素養を身につけて芝居に役立ててみたら」と言ってくれたんです。理解のある方だなと思いました。
ですから、最初はそんなつもりだったんですが、講談の発声とか、話を一つ覚えて人前でやっていくということをやり始めると、とてもやりがいがあるんですよ。もちろん、難しいですし、でも、稽古すればするほど、良くなっていくし、ちょっとサボると全然だめなんです。それが手に取るようにわかって、これが演劇との違いなんだなと思ったんですね。
演劇はみんなでやりますから、自分がセリフのない時は他のことを考えたりすることができますが、講談は自分一人しかいませんから、途中で他のことを考えたりできないんですよ。だから凄い集中力が必要なんですね。元々、私はそんなに集中力がある方ではないって思っていたんですけど、講談をやる時はとにかく必死でした。覚えるのも大変でしたし、それを人様の前で演じる時の難しさとか、次々とテーマが出てくるんですよ。それで講談は奥が深いなと思いました。出会いは、そんな感じでした。
その頃は講談が今みたいに知られてなくて、そのギャップがまた辛かったですね。誰も知らない講談という古い話芸をやっていて、いつか日の目を見る時があるんだろうかと思ったこともありました。
―ある意味、講釈師の人数的にも、世間からの認知度的にも、講談が下火であった時代に入門したことになるのだと思います。
香織 そうなんですよ、師匠の山陽の他にも、私が入門した頃には、五代目の宝井馬琴先生や一龍斎貞丈先生もいらっしゃって、そうした明治、大正生まれの方といった昔ながらの芸人気質で、威厳があって、硬い口調でニコリともしない感じがあって、私が求めていた演劇の世界とかと違いますし、この世界でやっていけるのかと思いました。