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松鶴、鶴光、羽光、羽太郎の四世代の飲食

シリーズ「思い出の味」 第10回

弟子に味噌をつける夜 ~思いを巡らす弟子との食事

 真打昇進後すぐに来た弟子の羽太郎は24歳で、横浜の実家暮らしである。

 僕も弟子と二人で外で食事をしたり、お酒を飲みに行ったりすることはほとんどない。弟子とどう接して良いかわからないし、どうしても酒が入ると小言を言ってしまい、楽しくないだろうし、僕自身ケチであることも大きい。

 弟子が家に来る時は、僕が弟子に料理を振る舞う。料理といっても普段、自炊している物を二人分作り、安い酒での食事である。

 例えば、その日、スーパーで半額になっていたナスとキャベツ、30%引きになっていた牡蠣、ホッケ二匹を購入する。ホッケはグリルで焼き、野菜と牡蠣はフライパンで炒める。味付けは味噌味で、料理酒を入れる。すると何となくのオリジナル料理になる。

 羽太郎は「美味しいです」と言いながら食べているが、どんな気持ちなのだろうか?

  売れている人(伯山さんや小痴楽兄さん)の弟子たちは、御馳走をしょっちゅう食べていると聞く。羽太郎は、彼らと食の差を感じているのだろうか?

 一緒に店で食事することが少ないので、羽太郎が噺家として食事マナーや気働きがきちんと出来ているのかどうかわからなかったが、先日、弟弟子の茶光から羽太郎の態度について注進があった。

 ある日、羽太郎と茶光は、駅で主催者を待っていた。主催者と昼食をとってから現場へ向かう予定だったそうだ。茶光は、羽太郎からしたら師匠(僕のこと)の弟弟子であるから、本来かなり気を使わなければならない相手のはずである。

 時間があるので、茶光は羽太郎に売店で持ち帰り用の珈琲を買い与えた。その時、茶光はSサイズを頼んだのに、羽太郎はMサイズ、つまり茶光より多い量を頼んだのだ。

 「なんでこいつ、俺より量多いねん」と茶光は心で思ったそうだ。2025年6月のことである。松鶴師匠がうどんのことで、うちの師匠に注意した1970年から55年の歳月が流れていた。

 このエッセイは、笑福亭の四世代にわたる師匠と弟子の食事風景を描いているが、それぞれが特殊な状況なので塩梅がわからなかった……という壮大なエピソードである。

(了)