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オシャレだね その一言が 聴きたくて(前編)
三遊亭朝橘の「朝橘目線」 第4回
- 落語
ヨレヨレチノパンと荒ぶるロン毛
それはさておき、中高時代は制服効果もあったのか、私服はどんなのを着ていたか思い出せない。少なくとも、呪いの装備はなかった。こだわりもなく、親の選んだものを着ていた。
高校を出て大学生になると、また私服だけで過ごす生活になった。しかも実家を出て、茨城県つくば市という、陸の孤島での一人暮らしが始まった。それまで服を選んでいた親はいない。自分で服を調達していたはずなのだが、その頃どこで服を買っていたのか、まるで思い出せない。今でこそ商業施設も充実しているつくば市だが、20年以上前のあの頃は、マジでホントに何もなかった。
高校生の頃の私服をそのまま、後生大事に着ていたんだろうか。だとしたら大学デビューという言葉の対極にいるような生き方だ。当時所属していたサークルの同級生から「いつもヨレヨレのチノパンとデニムのシャツを着ているイメージ」と言われたのを覚えている。相当ダサい。
しかも大学三年生の時は、髪を伸ばしていた。理由は忘れた。前髪が顎まで届くくらいの長さはあった。自分はかなり重度のくせ毛の上に毛量も多い。荒ぶる龍の如く乱れた髪を、タオルで覆って生きていたあの頃。その時分の写真は一枚も手元にない。他所にあるのなら、早めに行って焼却したい。
大学四年生になり、自分にロン毛は無理だとようやく悟り、床屋で散髪してきた私を見たゼミの先生が「やっと切ったか!!!」と、何かで世界一となった男を出迎える恩師のように、肩を抱いてゼミ室に迎え入れてくれた。
よっぽどだったんだろう。
それはサンロードで始まった!
大学を出て色々あって、26歳で師匠・三遊亭圓橘に入門。上京して噺家となった。前座の頃は丸坊主で、当然衣服にこだわる余裕などなく、適当にあり合わせのものを着て過ごしていたと思う。
二ツ目になってから、時間に余裕ができた。人間、暇があるとろくなことをしない。当時は吉祥寺に住んでいた。ご案内の通り、とてもオシャレなお店も多く、住人もセンスあふれる方々ばかり。住みたい街ランキングでも常連の、人気の街。あの街が、私に生まれて初めて(自分で選んだ服を着て歩きたい、オシャレしたい)という、何とも大それた野望を抱かせた。
サンロード商店街にある服屋に飛び込んでみた。店員さんのお勧めを取り入れつつ、自分でもじっくり吟味した。黒とかモノトーンの服を選んだ記憶がある。買った服を家で着てみた時の高揚感。次の仕事にこれ着て行こう、などと浮かれるのは実に気分が良かった。
こいつを羽織って意気揚々、楽屋入りすると一門の先輩が
「お前なんだ? その服」
「あ、こないだ買いました」
「センスねえなあ!」
途端にそれが、呪いの装備に思えてきた。
商売道具の着物も、お世話になっている呉服屋さんで反物を選び、誂える。正絹の、品の良い縞の着物を仕立てたことがあった。絹だから当然、そこそこ値が張った。
地元・沼津市での独演会でこれを着た。終演後、私の親戚(和装関係の商売をしていた人)から「あの着物、似合わないねえ!」
以来、沼津では着ていない。