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異国の路地、迷子の入口

「二藍の文箱」 第5回

地図を持たずに

 今回の旅は台北駅からも遠くない西門に宿を取った。

 ここ数年は決まって民泊で、たいていが古いマンションの一室だったり、時に一軒家だったり。この旅の宿は西門という原宿のような街の、下にはセブンイレブンと焼肉屋、向かいが映画館というなかなかの立地の古いマンションだった。

 朝からケンカでもあったかというような階下の喧騒で目を覚ますのも、また、たのしい。いつまでも寝てられないので、あれこれ考える前に、台湾啤酒(ビール)をプシュッとあける。さて、きょうはどこへふらふら行こうか。

 旅先では、意図的に迷子になるのが好きだ。

 本当の迷子はいやだ。一度、乗りたかったバスと全くアテの外れたバスに乗ってしまい、街からどんどん離れてゆくということがあった。そんなもん、すぐに降りてしまえばいいのだが、そうできないのが貧乏根性で、GoogleマップもGoogle翻訳もない時代。

 あの時はどうしたのだか、その前後の記憶が全くないくせに、バスを降りた途端スコールのような雨が降ったのだけを覚えている。それで、商業施設へと駆け込んだ。ただそれだけの記憶。

 人間の記憶は不思議なものだが、その記憶すら書き換えられたつくられた記憶かもしれない。ひとは物語をつくるものだ。

 今回の旅は台北が中心だったが、台湾は台南という街が好きで、台北からは新幹線で2時間ほど、南に台湾第二の都市・高雄(コヲヒォン)からは特急で40分ほどでつく。

 古い街で台湾の京都などと呼ばれるが──しかし、なんでも京都にしたがるね、日本人は──わたしは、奈良や子どものころの鎌倉のような雰囲気がすると思う。断じて、京都ではないし、京都ばかりがいいわけでもない。

 京都にももちろん日常の暮らしはあるだろうが、古都でありながら生活感があるのがいい。