シン・道楽亭、誕生前夜から今へと続くキャリー・ザット・ウェイト

月刊「シン・道楽亭コラム」 第7回

 その後、しばらく橋本さんの体調の話、道楽亭のクラファンの話、橋本さんが演芸界に果たした貢献度合いなど、はっきりとは覚えていないが、確かそんな話をしたりしなかったり、多分。

 「ねいきゅうさん、継いだらどうですか?」
 突拍子もないひと言の発言主は、もちろん菊太楼師匠だった。続いて

 「そうですよ、ねいきゅうさん!」
 というひと言が付け加わる。発言の主は、おかみさんだ。

 ご夫妻とも、まださほど酔っぱらっている風ではなかったことを覚えている。この先、飲み続けたら、あすの朝の記憶の保障は誰にもできないが、私の飲んでいる段階では、酔いの序ノ口にいた。私も含めて、みな

 「無理ですよ」
 即答したことを覚えている。

 私は「演芸評論家・エンタメライター」という名刺を持ち(今も)、フリーランスの原稿書きとして暮らしを営んでいた。べらぼうに多忙(韻を踏んでいます)という売れっ子ではないが、そこそこに日日取材&原稿書きをしていた。じゃなきゃ、食えないからだ。

 そんな暮らしをそのまま続け、ゆっくりと老いていけば、いずれ私の人生はお開きになる。そんなことを時々は考えたりする、還暦ちょい過ぎの人間だった。原稿書き以外に商売っ気はない。

 私の素っ気ない返事を受けた後、菊太楼ご夫妻が、繰り返し私に道楽亭の継承を勧めることはなかった。話はまた別のネタに進み、飲みの時間は飲みの時間としてただただ過ぎ、土曜日の夜がまだ残っているうちに我々は別れ、それぞれの電車で帰途についたのである。

 帰り際、道楽亭のことをひとりで考えたりはしなかった。いつも通り、ツイッターやフェイスブックを確認し、TikTokで動画を楽しみながら、都営大江戸線に揺られた。菊太楼夫妻とのやり取りは、そこで一丁上がりだった。

 ところがである。翌日、5月19日(日)に、ちょっとしたひらめきが私に降りて来ることになる。
 

 ――話はここからが、がぜん面白くなるのですが、ちょうど文字数が制限いっぱいになりました! 続きは次回をお楽しみに!!!

共同席亭 渡邉寧久

シン・道楽亭の公演スケジュール

https://dourakutei.com/schedule/

         (毎月10日頃、掲載予定)