つくまとさわぎとクリスマス・キャロル

「二藍の文箱」 第7回

それぞれの初高座

 そんな小朝師匠の藝人としての考え方や弟子への接し方は、当然三木助へも影響を与え、わたしもそれに触れている。それはわたしの初高座もそうで、わたしの弟子の初高座もそう。

 順当に行けば、わたしの弟子、歌坊の初高座が先月末に終わっているはずである。これに関して、神の目線を持っているわけではもちろんないので、いまの時点でどうなっているかはわからない。

 今年の4月に入門して、5月から『道灌』の稽古がはじまり、いま二席目の『たらちね』の稽古をしている。なので、夏ごろにはすでに客前に出してもいいぐらいの『道灌』ではあったが、初高座の日は早々に11月のわたしの地元蒲田での独演会と決めていた。

 それも「小朝兄さんが、初高座は生涯に一度だから、できたらご両親なども呼んであげて、なるべくいい状況でって言ってたんだよな」と、三木助がわたしの初高座を前にそう言っていたからだ。

 一生に一度の初高座を、なるべくなら沢山のお客さんの前で、なるべくいい会で。

 わたしも師匠にそうしてもらい、師匠になったわたしも弟子にそうしてやる。それは、極々、自然な流れでもある。

 そう考えると、わたしの真打10年の記念の会で、師匠歌司や一門で浮世節の立花家橘之助師匠が出演する会の開口一番だ。一生に一度の初高座には申し分ないのだが、いかんせん、これを書いている一週間あとのはなしなので、万年筆を持つ手を止めて考えてみても、胸のあたりをそわそわさせるだけだ。師匠や親のできることは、結句ここまでのこと。

 ちなみに『道灌』も『たらちね』も三木助からの稽古で、いつだったか師匠が二ツ目だった柳家小きん時代のテープをふたりで聴いた。それを聴きながら「この頃から上手いな」と師匠はまんざら冗談ともつかない口調でそう言っていた。そこに「少し早口だけどな」と付け加えて。

 そんな時、入りたての弟子は微妙な顔しかできない。ほんとは絶妙な顔がいいのだろうが。うちの歌坊もいつもそうだ。