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やめたら負けが確定する! 博打好きのたわごと

月刊「シン・道楽亭コラム」 第8回

社内も「博打の音」で満ちていた

 ほぼ現場にいるので、1ヶ月のうち出社するのはほんの数日。しかし、社内にいるときも博打から離れられるわけではない。

 当時は平成の世だったが、公営競技を担当するレース部にはまだまだ昭和が色濃く残っていた。レース部にはテレビがいくつもあり、そこでは競艇(今はボートレースとして親しまれていますが、当時を振り返る文面では競艇と表記します)や競輪は平日に大きなレースがあるので、メインレースの時間が近づくと、社内中から人が集まってきて、レースの検討を始める。

 必ず専門の記者がそこにいて、解説付きで検討が始まるので、聞いているうちにだんだん自分も買いたくなってくる。そんな環境にいるので、入社するまでまったく知らなかった競艇や競輪について理解するまで時間はかからなかった。

 当時はまだインターネット投票が普及していなかったので、買い目が決まると、現地にいる担当記者に頼んで買ってもらう。社内の買い目を全部買うと、けっこうな金額になるので、それを全部言われたとおりに買うかどうかは記者自身にかかっている。『どうせ当たらないから』と買わずに金を懐に入れてしまう行為を「ノミ行為」というわけだが、のむかどうかは本人次第、である。

 私も大きいレースのときに現地にいると、よく頼まれた。当時はまだ新人記者だったので、律儀に全部買っていたが、当たることは少なかった。そのことを先輩に報告すると、「バカだなあ。◯◯さんの馬券なんて絶対当たらないんだから、のんじゃえばよかったのに」と言われたものだ(ノミ行為は違法です)。

「競馬記者って儲かるの?」への答え

 また、「競馬記者って儲かるの?」とよく聞かれた。この質問は、公営競技担当記者なら飽きるほど聞かれている。そのときの答えは

 「儲かるわけがない。儲かるならとっとと辞めて、馬券だけで暮らす」

 だった。これを言うと納得してくれるから。

 でも、見ていると、儲かっている人はいた。そういう人は、買うレースを決めて、そこにしっかり金額を張れる人。私は目の前でレースをやっていれば、すべて賭けたくなる性分だが、こういうタイプは絶対に儲からない。それがわかっていても、賭けることをやめられない。

 レースを予想して、少ない金額でも賭けて、真剣に見て、当たろうが外れようがああだったこうだったと盛り上がりたい――その過程が好きだった。記者の中でも馬券をまったく買わない人は珍しくなかったが、同じような性分の記者仲間とあれこれいいながら飲むことが楽しかった。

 レースがあれば賭けてしまう自分の性分がわかっていたので、会社をやめて広告業界に転職をしてからは、競馬と距離を置き、情報を得ないようにした。そうしないと、まだまだ賭け続けてしまうから。騎手や調教師、調教助手など、競馬の“中の人”とあれだけ接して、あれだけレースも見ていたのに当たらないのだから、自分に博才がないことは火を見るより明らかなのだ。