NEW

うなぎとらくごの味

シリーズ「思い出の味」 第17回

うなぎとらくごの味

今も思い出す、懐かしい味と、かけがえのない時間の記憶

三遊亭 玄馬

執筆者

三遊亭 玄馬

執筆者プロフィール

幼少期と食育

 思い出の味、振り返るとぼんやりした記憶が多い。

 母に昔話を聞いてみると、自分が覚えていないことが多々あった。幼少期によく食べていたのが、祖母の作った『岩手しょうゆ赤飯』という金時豆を使った料理。これを小さなおにぎりにして、もりもり食べていたそうだ。

 母は千葉、父は岩手。実家は千葉の八街(やちまた)だが、小学校の冬休みなどには、祖父のいる岩手の盛岡まで帰省していた。自分の背丈まで積もった公園の雪を弟と二人占め。雪遊びで冷えた身体をコタツの中で温めながら、指先が黄色くなるまでミカンを食べていた。

 先の『しょうゆ赤飯』と言うくらいで、刺身に醤油。冷奴に醤油。醤油の卵焼きにも醤油。醤油が当たり前である。盛岡にいる頃は、醤油がとても身近にあった。

 しかし、千葉に移り住むと、そうした醤油中心の生活から離れたからか、それとも母の管理栄養士としての観点からか、濃い味が食卓に並んだ記憶が少ない。母の仕事が忙しい時には、父が料理当番になって「普段は食べられないB級グルメだぞ」と言って男の料理を食べさせてくれた。たまの贅沢というか、男だけの秘密のような感じ。

 今でこそ好き嫌いはない方だが、母曰く、保育園時代は『おやつバイキング』の時間でチョコだけをひたすら食べるという暴挙を振るったそうだ。「親御さんからも言ってもらえますか」と保育園の先生。親からバランスよく、ほかのお菓子も食べることを提案されるも、玄馬少年は「好きなものを好きなだけ食べられるのがバイキング」と迷言を残したそうな。この頃からトンチが効いていたのかもしれない。

 ほかの子のチョコがなくなるという問題点から、『おやつバイキング』の時間が会議の末、なくなる。思い返すと、名糖の『アルファベットチョコレート』が家によく常備されていた。それでも少年のチョコ欲は収まらなかったのだろう。

 その後は、両親の必死の食育のおかげか、チョコ以外にも興味を持ち始める。母親が趣味でケーキやパンも作ることから、小学校の自由研究では発酵をテーマにパン作り。そうした影響もあり、大人になって一人暮らしを始めると、製菓や製パンに手を出すようになる。

 料理の基本は、レシピ通りに作るというのが鉄板だが、何かが足りないということがよくある。材料の買い忘れや売り切れている場合など。料理は、このアドリブが面白い。

 というのも、仕事が忙しくて誕生日ケーキの用意できなかった母が、普段からおやつとして食べていた山崎製パンの『イチゴスペシャル』という半月型のスポンジケーキ(菓子パンの部類)を二つつなげて円形にし、生クリームを塗り、イチゴを乗せて、即席ケーキを作ったのだ。

 当初はそれと気づかなかったが、後になって真実を知らされる。私は、この母の工夫を凝らした誕生日ケーキが好きである。