第六話 「若手人気落語家殺人事件 【事件編】」

「令和らくご改造計画」

#3

 それなのに、現実はどうか。新作派は、どこか亜流のように扱われる。

 「新作なんて」

 そんな言葉が、冗談とも本気ともつかない顔で、当たり前のように飛び交っている。

 どうして、こんな根源的なことを、みんな忘れてしまったのだろう。

 “江戸”が大事なのではないのか。

 江戸時代の噺家は、みな新作落語を演っていたのだ。

 繰り返すが、これは古典派への文句ではない。むしろ新作派も同罪だ。自分たちを、古典落語の派生のような顔で語っている。

 そうではない。新作落語から生まれたのが、古典落語なのだ。レンタルビデオ屋に行けばすぐにわかる。新作が、やがて旧作になる。逆は絶対にない。

 もしかすると古典派は、新作派の仕事そのものに不満があるのかもしれない。

 「(新作落語は)もっとこうしてほしい」
 「(新作落語は)もういらないよ」

 そんな言葉を、自分では一切の労力を割かずに投げられるほど、もう「落語は完成した」と、先人の新作派の“魂”に敬意を払わず、どこか慢心してしまっているのだろうか。そうは、信じたくない。

 そしてまた、そんな空気感が「古典派」と「新作派」の溝を深めているように感じる。

 これもまた、現代の落語が抱える問題なのだ。