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今年も、自分を悟る一年に

「噺家渡世の余生な噺」 第9回

五、立ち位置という悟り

 人は年を重ねるほど、自分の立ち位置を知ることが大事になる。

 私は代表役には向いていない。その代わり、総務部長や風紀委員のような裏方が肌に合う。時に反主流派に回ることもあるが、それも私の流儀だ。

 ただ一度だけ、代表になろうと思ったことがある。それは、前座時代を共にした後輩Xに対して、「被害者の会」を立ち上げようと思った時だ。とにかく後輩Xは、状況判断ができず、私が「立て前座(責任者)」の頃は、何度も師匠方やお席亭に頭を下げた。

 ある日、そのXが寄席で大きなシクジリ(失敗)をした。お席亭が楽屋へと乗り込んできて、「誰だ、今の仕業は?」と問う。Xが手を挙げ、「自分です」と言うと、お席亭は「なら仕方ない」と言った。

 そして「立て前座は誰だ?」と聞かれ、私が名乗ると、「お前か。それじゃあ、なおさら仕方ない」と去っていった。

 その瞬間、私は「代表には向かない人間」だと確信した。同時に、「誰がやるか」ではなく「誰が許されるか」が世の中なのだと悟った。

 そして、「後輩X“被害者の会”」の立ち上げに、初めて代表役として自ら就任しようと思った。

六、悟りは、老いのご褒美

 年を重ねるというのは、腹を立てるより先に、苦笑いできるようになることだ。

 怒りを笑いに変えられた瞬間、人は少し大人になる。

 前座の頃、圓蔵師匠に言われた「身内に知られる芸人になれ」という言葉。あの言葉は、今の私にはこう聞こえる。

 「お前の立ち位置を、間違えるな」

 今年もまた、自分を悟る一年が始まる。

 悟りとは、山頂で得るものではなく、日々の寄席や旅の途中で、ふと足元を見た時に見つかるものだ。私はそれを、人生の「余生稽古」だと思っている。

 どうか、老いを面白がる余裕を忘れずに――。

 そうだ、そのためにも次回は、「老害」と「ヒエラルキー思考」について考えてみよう。

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(毎月14日頃、掲載予定)