味は覚えていない。ただ、とにかく美味しかった

シリーズ「思い出の味」 第20回

 餃子と言えば、もう一つ思い出がある。

 入門してからのことだ。入門当初から、気働きのできないほうで、師匠からお叱りを受けてばかりだった僕が、はじめて褒められた話である。

 まだ前座にもなっていない見習いの頃。その日は、お付きの仕事があったのか、わざわざ呼ばれたのかは覚えていないが、師匠が「餃子を作って食べよう」と言われた。中の具は手作り、皮は市販のもので作ることとなった。

 その時いた弟子は、僕を含めて四人。師匠とおかみさんで分担し、僕は兄弟子と二人で皮を、包む係になった。

 昔、母と一緒に作った記憶をたどりながら包んでいた。手先を使う単純作業は、わりかし得意なほうだ。みるみるうちに出来上がっていく。

 その包んだ餃子を見て、師匠が言ってくれた。

 「すごくきれいだな。売ってるやつみたいだ」
 「餃子屋でバイトか何かやってたのか」

 そんな経験はない。自分としては、朧(おぼろ)げな記憶をたどりながらやっていただけだ。褒められて嬉しかったかと問われれば、もちろん嬉しい。

 ただ、少し不思議な感覚だった。頑張ったつもりもない。半ばテキトーにやっていたことが、褒められる。少しこそばゆい。人間、どこに才能があるかわからないものだと思った。

 隣で同じく作業していた兄弟子の作品は、歪(いびつ)だった。おそらく、それが普通なのだろう。

 その後、それらを焼いて皆で食べた。味は覚えていない。

 最初にも書いたが、別に餃子は好物ではない。中華料理屋に一人で入っても、注文しないかもしれないというくらいだ。あれば食べる、という感じである。それでも、僕の食べ物の思い出は、餃子のことばかり。そういうことも、あっていいのかもしれない。

 また美味しい餃子が食べられる日のために、日々、激しく疲れるような時間を過ごしてみようか。そんなことを、この文章を書きながら思うのだ。

柳家花飛 X(旧Twitter)

(了)