三味線と 浪曲唸って 二刀流 弾く手あまたな 伊丹秀敏

「浪曲案内 連続読み」 第9回

伝説の曲師との出会い

 あと10年はご一緒できると思っていた。

 「私が一太郎さんくらいの歳だったらねぇ」と、よく言われた。全盛の時代に浪曲の世界に入って、ずっと第一線で三味線を弾いて来て、90歳になって、これからまた何十年も浪曲をやるつもりなんだ!と空恐ろしくなった。私より長生きしそう、と思った。

 だから秀敏師匠が亡くなることはないと思っていた。

 秀敏師匠は、80歳を過ぎてからも、浪曲師として「暁の唄」「石童丸」「悲恋静」と新しい演目を覚えた。舞台でネタが飛んだことは一度もなかった。

 「耳が遠くなったら三味線は辞める」と昔から言っていたが、少しも耳が衰えることはなく、逝ってしまった。芸人としてあまりに見事、完璧な最期だ。格好良すぎる。

 だが、もっと会いたかった。

 秀敏師匠との出会いは、私の師匠、二代目 東家浦太郎のNHK『日本の話芸』のDVD、「王将一代」の三味線の音色だった。

 私は、2007年(平成19年)に師匠に入門したが、その4年前くらいから木馬亭に通って、浦太郎の浪曲を聴いていた。その当時、秀敏師匠は木馬亭をお休みされていたので、生でその三味線を聴いたことはなかったのだ。

 このDVDの「王将一代」を観たのは、ちょうど弟子入りする前後だったと思うが、何より三味線にびっくりした。最後のバラシという節が今までに聴いたことがない音色だった。二挺三味線、つまり曲師二人で弾いているのかと思った。また身体にズンッと響いてくるその音に、エレキ三味線なのかな、とも思った。そして東家浦太郎の浪曲が、木馬亭で聴いた時と全然違った。三味線の力でこんなに芸が変わるものかと驚いた。水を得た魚のように、師匠の浪曲が輝いている。

 伊丹秀敏。この曲師が、太田英夫改め、二代目 東家浦太郎の相三味線であることを、この時、初めて知った。それから私はこの「王将一代」を狂ったように観返した。

ゴールデンコンビの直筆サイン

 その後、入門してから初めて師匠浦太郎の舞台の後見(手伝い)をしたのが、白金寄席という地域寄席。駅の改札で待ち合わせていた時、三味線の入った三つ折りケースを持って、颯爽と現れたのが伊丹秀敏師匠だった。今でも目に焼き付いている。憧れの人と初めて会った。

 師匠浦太郎は、一回目の脳梗塞からすぐに復帰して最初の舞台。秀敏師匠に弾いてもらうのも久々だったようだが、なんとここであの「王将一代」を演ったのだ。大阪の将棋指し、坂田三吉と妻の小春の物語。初めて生で見る、東家浦太郎と伊丹秀敏の名コンビ。弟子入りしてから初めて観る師匠の浪曲と秀敏師匠の三味線。初めての後見という緊張。

 狭い舞台袖で正座して、涙を流しながら、「この一瞬一瞬を目に耳に焼き付けるぞ」と自分に言い聞かせたのを覚えている。