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講談界を駆ける一鶴イズムの継承者 田辺銀冶(中編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第25回

講談界を駆ける一鶴イズムの継承者 田辺銀冶(中編)

真打昇進後の高座。2022年9月(提供・田辺銀冶/撮影・ヤナガワゴーッ!)

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

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名も香盤も捨てて

 当人曰く、シャイな銀冶さん(笑)。何回か(も?)迎える人生の分岐点を前に、一度は講釈師の道から外れるも、自分探しの旅の目的地は、結局、講釈師にあったということだろうか。海外で解き放たれた自身と、その経験は講釈師人生にどんな影響を与えたのか。いわば“出戻り前座”時代について尋ねてみた。

銀冶 一鶴のところへ行って、「また講談をやりたいです」と伝えた時に、当然「いい」と言ってくれると思っていたら、なかなか「うん」と言ってくれませんでした。しばらくは師匠のカバン持ちをして、師匠が開いていた「東京ニューヨーク寄席」について回ったり、その時は「修羅場道場」は「講談教室」と名を変えていましたが、そのお手伝いをしたりしていました。

 実はその頃、祖父の在宅介護が始まったばかりで、それが大変でモヤモヤしていたんです。2005年頃の話ですが、ちょうど、師匠が『妖怪軍談修羅場』を読んでいた時で、それを祖父の介護に置き換えて読んだんです。実質的な私の初の新作講談です。

 それを師匠が聴いてくださって、「よし、はじめてお前の本気を見せてもらった。弟子として許す」と言って、「一龍斎貞水先生と本牧亭のおかみさんに挨拶に行こう」ということで、2006年11月に再入門となりました。

銀冶 ところがまだ終わりません。今度は香盤をどうするかということになって、元の香盤に戻すかという話もあったんですが、私はそれは嫌だと。

 確かに高校3年間、前座はやっていたけど、満足できるような修業はしていない。だから一から修業をし直したいと話したら、今度は私が最初に入門した時の後輩がやりづらい。それでも一番下に据えてもらって、当時のすずさん(現・神田菫花)と同月に前座となりました。

銀冶 あとになって思えば師匠の「一」か「鶴」をもらえばよかったんですよね、一鶴は自分で名前を考えろという人でしたから。すっかりその考えが抜けちゃって(笑)。それで姓名判断のできるお坊さんのところへ母に連れていかれ、「何か決まりはあるのか」「ありません。同じ名前でなければ」。

 その時に自分でも考えていた名前があって、その中に「銀鼠(ぎんねず)」というのがあったんです。色も好きですし、字面(じづら)も好きだったんですが、芸名に「鼠」はちょっとなということで、「銀」に関係する文字として、「冶金(やきん)」の「冶」という、よりによって難しい字を付けてしまったんです。(※冶の左側は、にすい「冫」)