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老害は老後から始まらない説 ~老害とヒエラルキー思考

「噺家渡世の余生な噺」 第10回

老害は老後から始まらない説 ~老害とヒエラルキー思考

正しさより、立場を守る人たちへ

柳家 小志ん

執筆者

柳家 小志ん

執筆者プロフィール

一、若造と呼ばれた日々

 若い頃、よく年長者からこんな言葉を投げ掛けられた。

 「今の若い奴は、こんなこともできないのか」

 そのたび私は、つい余計な一言を返してしまう癖があった。

 「じゃあ、あなたはこれができるんですか」

 すると決まって、こう返ってくる。

 「そんなこと、できなくても生きてこられた」

 だから私は言う。

 「なら私も、それができなくても生きていけます」

 そうすると、話は理屈ではなくなる。

 「屁理屈ばかり言いやがって」
 「私から見たら、そちらも屁理屈です」
 「この若造が」

 急に出てくるのは、年齢というカードである。議論に詰まると、最後はそこへ着地する。

 “若造”

 便利な言葉である。

 中身を問わず、相手を下に置ける。論点をすり替えられる。しかも、自分は傷つかない。だが、心のどこかで、小さな違和感だけは残った。

 ――年を重ねることは、自動的に能力を獲得し続けたことになるのか。

 その疑問は、今もまだ、私の中でくすぶっている。

二、年寄りにこんなものできるか

 近頃、公民館や会館の会場申し込みは、ほとんどがインターネットの抽選になった。一応、機械が苦手な人のために、受付の近くには操作用の端末が置かれ、職員が横について操作補助までしてくれる。実に親切である。

 それでも時おり、「年寄りにこんなものできるか!」と怒鳴っている高齢者を見かける。

 私は思う。

 この人たちは、「今の若い奴は、そんなこともできないのか!」と怒鳴っていた人たちと同じ人たちではないか、と。立場が変わっただけで、言葉は同じなのである。

三、敬意は要求するものではない

 年長者は、敬うべき存在である。この国を支え、社会を築いてきた先人たちがいたから、今の日本がある。それは間違いない。

 だが、年齢や在籍年数というものは、努力で勝ち取ったものではない。生まれた順番と、入った順番。言ってしまえば、偶然の産物である。

 その偶然を盾に「俺の方が上だ」と言い出した瞬間、話はおかしくなる。

 金を払っているからといって、「客は神様だろうが」と怒鳴る人と、根は同じである。本当に敬われる人は、敬えと言わなくても、自然と敬われている。