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新釈浪曲忠臣蔵 ~202X年赤穂の旅

「浪曲案内 連続読み」 第10回

浅野内匠頭の無念と武士の覚悟

 朝食を食べた後、生まれてはじめて、赤穂城へ行きました。海岸平城である国史跡の赤穂城跡。行ってみて本当に良かったです。駐車場から清水門を抜けて三之丸へ入る。当時を偲ぶ石垣に感動します。二之丸には、赤穂藩お抱えの軍学者・山鹿素行(やまが そこう)の銅像や広い庭園がある。

 本丸の門をくぐると、本丸御殿跡。お屋敷の間取りが地面に書いてあります。大広間の前に庭園と池があり、殿様が縁側でくつろいでいた、和やかな時間を感じました。天守閣はなかったそうですが、天守台に登れば、海が近く、山に囲まれたおだやかな土地であることがすぐわかります。赤穂は「赤穂の天塩」でいまだに全国に知られます。入浜式塩田、塩の生産で経済的にもとても豊かだった藩です。

 このような素晴らしい土地を手放さなければならなかった、浅野内匠頭の想い。故郷にもう一度帰って、潮の香りの空気を思いっきり吸いたかったことでしょう。己れの行いを、切腹までの7時間の間にどれだけ悔やみ、恨んだことかと想像します。それでも武士道を貫いて、潔く散っていきました。その殿の無念を晴らしたいという大石以下、四十七士の気持ちも察します。

赤穂城の天守台で四十七士を想う

 三原市での公演の翌日には、広島城にも立ち寄りました。こちらは浅野家のご本家、広島藩浅野家のお城です。赤穂の浅野家は分家なのです。ちなみに三原駅構内からすぐアクセスできる三原城跡は、広島藩の支城。新幹線から2分でお城! そんなのアリ?という珍風景です。

 話がそれましたが、広島城の天守は今年、令和8年(2026年)3月22日をもって閉城しました。現在の天守は、安土桃山時代に建てられた木造の大天守が昭和20年(1945年)に原子爆弾により倒壊した後、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造で復元されたものです。

 広島の復興のシンボルとして親しまれたお城。ちょっと覗いてみようと行ってみましたら、なんと閉城間近。赤穂藩との関係もよく学べました。ありがとう広島城! 本家分家のダブル浅野。

 浅野内匠頭の弟、浅野大学長広(あさの だいがく ながひろ)は、元禄15年(1702年)7月18日、広島浅野ご本家にお預けとなります。ご舎弟、浅野大学様によるお家再興を画策していた大石内蔵助は、これを機に、吉良邸討ち入り、仇討ちを決意するわけです。