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流れもの日記 (前編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語

前座の頃、柳家権之助兄に撮ってもらった一枚
キリギリスの生活
2011年、秋の夜。
大学四年の僕は着物を着て、大学の落研部員として横浜野毛にある、とあるバーで落語をやっていた。落語会というようないわゆる寄席ではない。バーのイベントの一種で漫才、唄、漫談。何でもありのライブだ。
僕は、そこに落語枠としてイッチョ前にもYouTubeで覚えた噺を目の前のお客さんに向かって口角泡を飛ばしながら、必死にしゃべっていた。開口一番。前座、落語。聞こえてくるのは、お客さんの笑い声ではない。マスターが「カシャカシャ」と氷をピッグで砕く音がこだます。まるで相槌を打つかのように。
落語を一席しゃべり終える頃には、氷がミラーボールのような光沢を放ち、グラスの中に納まっていた。この氷が溶ける頃には、僕が落語をやったこともお客さんの記憶の中には残っていない。それでもいい。今日はうまくしゃべれたことよりも、正座をして一席、無事に完走できた自分を褒めようではないか。
バーなんて、そもそも高座台があるような環境ではない。この日の高座は即席のものだ。丸い小さなカウンター席の椅子に座布団を強引に敷き、ほぼ脛骨(スネ)しか接着面がない今日の現場は、落ちずに済んだだけでも良いではないか。噺の最後は、もう少しオチても良かったが。。
この場にいることが楽しくて仕方がなかった。ちなみにこの日のトリは、国籍を変えてロンドン五輪を目指していた頃の猫ひろしさんだった。国籍どころか就職先もろくに決まっていなかった僕は、自分の出番が終わると後方の席に移動してコロナビールを飲みながら、「芸能人のひとだあ」というような心境でその日のショーを楽しんでいた。
ずっとこういうような日常を送っていたいと思った。落語家になったら、こんな生活ができるのだろう。今日みたいな日を多く消費して、生きていきたいと思った。アリとキリギリスで言えば、絵に書いたようなキリギリス。でも食えるならいいじゃあないか、と思った。