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“施設長X”の献身

「噺家渡世の余生な噺」 第6回

“施設長X”の献身

今回は、ある介護施設を舞台にした、架空の掌編をお届けします

柳家 小志ん

執筆者

柳家 小志ん

執筆者プロフィール

 決して忘れてはならない、現実。それは、この物語はフィクションであり、架空の“施設長X”の献身を俯瞰的に描いた超短編小説であること……

一、献身の顔をした土地活用

 とある介護施設、Z荘。

 のどかな地方の田畑に建てられたその施設は、一見すれば「地域福祉に尽くす立派な社会福祉法人」と見えた。だが実態は、地主一族の土地活用である。

 施設長Xは、この土地の生まれの者だった。祖父が会長、祖母が理事長、本人は施設長、配偶者は副施設長、相談員は親戚筋。そして「修業」と称して現場に放り込まれたご子息は、現場の監視役にすぎなかった。

 法人の土地も建物も、もとは一族の所有。補助金を使って再開発したそれを世間では「地域福祉」と呼ぶ。

 アパートなら埋まらない。だが老人ホームなら、入居希望者は尽きない。

 Xにとって、介護職員は「お手伝いさんの延長」であり、入所者は「お客様」だった。自分はその頂点に立ち、現場に降りることはない。施設は補助金で建てられ、税金で運営される。これほど割のいい商売は他にない。

二、栄誉は虚像にあり

 慢性的な人手不足。

 腰を壊し、心をすり減らす職員たち。それでも、Xは会議で決まり文句を繰り返した。

 「近頃、施設に対する、いい噂を聞きません」

 Xにとって、入所者や外部から「素晴らしい施設長」と称賛されることこそが、何よりの栄誉だった。

 現場経験のないXにとって、介護とは食事・入浴・排泄・レクリエーション、それにナースコールの対応程度でしかない。

 だから「ナースコールはルームサービスのように押してください」と入所者に奨励し、感謝される。結果として廃用性症候群を生み、寝たきりを増やす要因であることに気づきもしなかった。そして何より、それが業務を圧迫していることに気づく由もない。

 職員は「コスト」と考えるXにとって、職員が談笑する姿を見ただけで苛立ちを覚える。税金や保険料で成り立つ現場で、その働く人間もまた同じ納税者であることなど、思いも及ばない。

三、監査という儀式

 監査の日は、さらに滑稽だった。

 都道府県や区市町村の職員が書類を広げ、帳簿の数字を確認し、「問題なし」と頷く。現場の「疲弊」という数字に表れない現象は、目に入らない。

 年間に10人が退職し、8人が入職している。数字上では特段問題はない。しかし、そもそも全職員を合わせても30人程度の職場で、年間10人が辞めるということは――組織としてどこかに闇があるに違いない。

 そこへ2人の欠員も加わる。元々人手不足の現場で、2人の欠員は致命的である。だが、そんな事実は監査では問題にならない。

 監査員の多くは、異動でたまたま回ってきただけの人間だ。既に異動の決まっている前任者から教わりながら帳簿を追い、その数年後には別の部署に去る。

 だから最後には、施設長Xに向かって「今後とも地域福祉にご尽力を」と頭を下げ、帰っていくのだ。