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二つの乳に育てられし

シリーズ「思い出の味」 第13回

二つの乳に育てられし

今も思い出す、懐かしい味と、かけがえのない時間の記憶

月亭 天使

執筆者

月亭 天使

執筆者プロフィール

実家は豆腐屋

 こんにちは。上方落語家の月亭天使と申します。“天国の使い”と書いて、天使です。

 先日、芸歴15周年記念で、繁昌亭昼席でトリを取らせていただきましたが、天使になって、もう十五年かぁとつくづく思いました。

 さて。今回、「思い出の味」というテーマでエッセイを書かせていただくことになりました。『エッセイを!』と言われると、なんか緊張しますが、「え? エッセイ尾形…?」ぐらいの、気楽な感じで読んでもらえると嬉しいです。

 思い出の味…というと語弊があるかもしれませんが、『今後の人生で、もう一度食べたいけど、二度と味わえないもの』という観点で言うと……それは、父の豆腐です。

 すでに廃業していますが、うちの実家は豆腐店を生業にしていました。父は四国・徳島の出身で、中学卒業後、集団就職で大阪の工場に勤めていたそうです。その工場を辞めた後、大阪で豆腐作りを教えてくれる豆腐屋の師匠とも言える方に出会い、独立して自分の店を持ち、兄と私を育ててくれました。

 私は生まれた瞬間から『豆腐屋の娘』で、母は背中に赤子を括り付けながら、店番をしたり、道具を洗ったり、片付けをしたりしていました(もちろん家事も)。

家族旅行にて。父と私。休みは少なかったけど、意外といろんなところに連れて行ってもらいました

 落語の『鹿政談』でも言われてますが、豆腐屋の朝は早いので、父は毎日夜9時ごろには就寝。早い時は朝4時に起きて働き始めていました。

 ありがたいことにお店は繁盛し、母の背中からベビーサークルに移動した私もすくすく成長しました。お店も隣町に引っ越しし、最初の店舗より少し大きくなりました。

 定休日は、土曜日のみ。忙しい両親に代わり、保育園の迎えに兄が来てくれたり、小学校の運動会は親戚のお姉ちゃんが来てくれたりしました。

 お店が忙しく寂しいこともありましたが、今、考えると、両親はほんまよく働いてたんやなぁと思います。そう、私と兄は母乳だけでなく、大豆の乳、豆乳でも大きくなったと言って過言ではないのです。ふふ。