入門前夜
三遊亭司の「二藍の文箱」 第1回
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自我とバンダナ
11歳の時――はなしは唐突だ――立川談志が目の前に現れた。
わたしもそうだが、話楽生Webの随筆は結構、同業者も目にしている。同業者ならば、この出会いを「これはやばい」と気がついてくれると思う。わたしにはその出会いが、ほかのひとより少しだけ早かっただけだ。そして、立川談志と同時に出会った落語へのアプローチが、東京にいたのでしやすかったというだけのはなしでもある。
たいてい思春期には、芽生えたばかりの自我というものに煩悶するものだ。一般的にはそう言われるが、サカモト少年のちの三遊亭 司は、何者かわからない自分に出会う前に、バンダナを巻いた、時に稲妻のような落語をする偏屈なおじさんに出会ってしまい、煩悶するまでもなく生きるというのはこれなんだ、と、そう勘違いした。
業の肯定とは、とっくに言っていたが「んん、イリュージョンなんです」と言い始めた時期。なので、一瞬の稲妻のような談志落語に出会ってはいても、カミソリのような落語をする談志師匠には間に合っていない。音源のみだ。
ただ、わたしたちの世代は一番脂が乗ってきた談志師匠の藝に、『落語のピン』という師匠を中心とした深夜の落語番組で毎週触れることになる。いま考えても、なんて贅沢な番組だったかと思う。
この番組のプロデューサーだったKさんには、後年、TBS落語研究会で出会うことになり、そのはなしになると「いやぁ、責任を取らなくちゃ」と笑っていらしたが、Kさんとのお別れも早かった。