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講談への情熱は今も変わらず 一龍斎貞寿(前編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」第8回

講談への情熱は今も変わらず 一龍斎貞寿(前編)

師匠の一龍斎貞心と(貞寿・提供)

瀧口 雅仁

執筆者

瀧口 雅仁

執筆者プロフィール

朗読ボランティアから講談師へ

 講談界には大きな名前がある。宝井であれば馬琴、神田であれば伯龍、田辺であれば南龍。そして一龍斎であれば貞山、貞水、そして貞丈だ。平成の世には、その三つの名前が寄席の高座で燦然と輝いていたが、今はその名が襲われることなく、直弟子、孫弟子、ひ孫弟子の世代になってしまった。だが、名前は継承されていなくても、芸譜を受け継ぐ講釈師がそれぞれに活躍を見せている。六代目一龍斎貞丈の孫弟子であり、一龍斎貞心の愛弟子である一龍斎貞寿が、今、講談界に何を見ているのかを尋ねてみた。

貞寿 小さい頃、テレビで見ていた『まんが日本昔ばなし』の市原悦子さんの語りが好きで、学生時代には民話の朗読のボランティアをしていました。話の中で、例えば栃木の民話を探すと、『那須与一』の話があったりして、それで講談を知って、聴きに行ったのがきっかけです。その時は一龍斎貞水先生が『四谷怪談』を読んでいて、客席を取り込むような形でお読みになっている姿がとにかく凄くて、衝撃を受けました。

貞寿 はい。朗読をやっていたので、講談を勉強してみたいと思って、講談協会に電話をしたら、当時、協会の事務局を担当されていた貞心先生が出たんです。お会いしたら、たまたまその時楽屋にいらした(神田)すみれ先生が講談教室をやっていらっしゃったので、すみれ先生の講談教室を紹介していただきました。でも「『三方ヶ原』は私が教えるから」って(笑)。

29歳で講談界へ飛び込む

貞寿 講談はおろか、落語も聞いたことがありませんでした。だから、大人になって初めて聞いて、非常に新鮮だったんですね。それで、どっぷりとハマりました。当時、会社勤めをしていたんですが、身体を壊してしまって、辞めることになったんです。普通だったらすぐ再就職を考えるんでしょうが、その時私は「会社辞めたら時間ができる! これで、昼席に行けるぜ!」と思ったくらい。とにかく、講談が好きでした。会社を辞めてせっかく時間があるのだから、とにかく東京の講釈師を全員見ようと、片っ端から講談会を見て回っていました。

貞寿 それが、会社を辞めてからも、なかなか講釈師になる決心はつきませんでした。「やりたい!」という気持ちもありながら、私なんかが芸一つで食べて行けるはずはない。そう思って、なかなか踏ん切りがつかず、入門するまで三年かかってしまいました。その間、弟子でもないのに、貞心先生のかばん持ちをさせてもらって、相談に乗っていただいたりするうちに、段々と中の様子もわかってきて、好きな気持ちに素直になろうと決心、やっとのことで入門しました。

貞寿 はい。だから逆に師匠から「君はいつ入門するんだ?」と言われてしまいました。あまりにも熱心に定席に通ってくる若い子がいる、というので、楽屋内でも「入門しないのかな?」と言われていたそうです。当時、私は29歳で若いとは言えない年齢でしたが、講談協会は比較的入門時の年齢に対して寛容で、私よりもずっと年上の人が前座でいらっしゃったことにも背中を押され、人生一度っきりだと思って、飛び込みました。