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三合目 ~京都漫遊記 〈壱〉
「酒は“釈”薬の長 ~伯知の日本酒漫遊記~」 第3回
- 講談

京都市伏見区にある伏水酒蔵小路
新選組の聖地へ
「壬生寺(みぶでら)に行きたい!」
京都修学旅行のルートを決める授業の際、かつて私は同じチームのクラスメイトに提案したことがある。
関東住みの新選組ファンの自分にとっては、京都に行けるのならば、新選組ゆかりの地を巡りたい。新選組が屯所にしていた壬生寺を見てみたい。こんな絶好の機会は滅多にないわけで、意気揚々と提案した。
しかし、だ。
「えっ 周りに何もないじゃん」
「壬生に行ったら、時間足りないよ?」
「清水寺とか、三十三間堂とかがいい」
速攻で却下された。まあ、そりゃそうである。
壬生寺へいくルートとなると、(当時は)普通の住宅街をひたすら歩いていって、お寺を見るだけで、その日の自由行動の全ての時間を使い切ってしまう。せっかくの貴重な京都タイムを有名観光地に行かずして、のこのこ水戸に帰るなぞ、もっての外。
「……おみやげとかも買えないじゃん?」
多勢に無勢、説得かなわず。結局、この修学旅行では、清水寺などのメインどころを観光し、通り過ぎるバスの窓から一瞬、壬生寺の門のみを見つめたのみで、涙を飲んで茨城へ帰った。
この時、思ったのだ。いつかまた京都に来たら、自分ひとりで、自分の金で、自分の観たい所だけを観光してやるんだ……。

歳「如何に近藤氏あれ御覧候へ。向ふに見へるが見返り柳、之は京都で申せば島原と云ふ所だ。島原では出口の柳、江戸吉原では見返り柳、どちらも同じ事で御座る。御貴殿若し京都へ参る事があれば出口の柳を御覧候へ」
勇「御貴殿、京都に御出でになったか」
歳「イヤ夫は咄にて承ったので御座る」
勇「咄では誰しも承知致し居る」
松林伯知『幕府名士近藤勇』
京都は、日本酒がうまい!
そして、今回やって来た京都である。
もちろん、修学旅行以降も何度も来る機会はあったものの、仕事だったり、帰る新幹線の時間が決まっていたりとか、時間がなくて帰ることが多く、やはり涙を飲んで帰ることが多かったため、今回はちゃんと時間をとって勉強しよう!と滞在日を増やしたのである。
初代伯知は新選組と縁が深く、その伯知の名を襲名したこともあり、有難いことに新選組のイベントでも口演・講演させていただくことが増え、幕末明治史を専攻しつつ、演芸誌の編集に携わっていた講談師として、せっかくならば“演芸史から読み解く新選組像”という視点の研究が可能ではないかと……目下調査中なのだ。
………………と、ここまで書くと、「お前そんな真面目な理由だけじゃないだろう?」というツッコミが聴こえてきそうである。
そう、京都は、日本酒がうまいのである!
修学旅行の学生時は、まったく気づかなかった点ではあるが、まァ京都の酒はうまい。
京都で一番うまい料理は?と言われると、何となく挙げるのが難しい。八つ橋、漬物、抹茶、おばんざい等々どれも美味しいけど、他県と比べてこれが!という感じでもないというか……高級かつ上品な食事のイメージで、うまい名物料理!という雰囲気じゃないというか。
自分は「京都で一番うまい食べ物は、志津屋のカルネ」(パンの中にハムとオニオンスライスが入ったサンドイッチ。シンプルイズベストで実にうまい)と言い張っているのだが、京都民からは「もっと美味しいものあるから!」と反論される。


「じゃあ何が美味しいの? 京都民は何を隠しているんだ! 坂東武者に食わせる飯はないってか!?」
と尋ねると……
「う~~ん……酒!」
と、100%返ってくるのであった。
新選組の歴史を辿れて、尚且つ酒もうまい。京都は私にとって最高の土地なのである。いや~ オトナになって良かったなあ。
さて。京都で、新選組で、酒と言えば、新選組隊士たちが足繁く通ったという花街・島原にある揚屋(あげや)、角屋(すみや)さんである。

島原の角屋徳右衛門といふのは名代の揚屋でございまして此の角屋にて新撰組の者共が集會をして市中巡邏をなし、町奉行なる者を救けてやらうといふ事を議して居ると与力同心さへも少しく此の新撰組には歩を譲って居りまする
松林伯知『新撰組十勇士伝』