つくまとさわぎとクリスマス・キャロル

「二藍の文箱」 第7回

師匠のひとり言

 「三木助さん、藝人がクリスマスに仕事をしてはいけないよ」

 ある日のこと、なんのはなしからそうなったのか。「小朝兄さんが」の枕詞とともに、三木助がそんなことをふと口にした。わたしは十九、二十歳の子どもだったので「そういうものか」と、ただただ思うばかりだった。

 こうして、あやふやな存在がひとりの藝人として形づかれてゆく。

 万事がそんな様子で、はじめてお供で寄席の楽屋に行ったのも小朝師匠プロデュースの鈴本演芸場だったし、はじめて営業仕事に同行した時も、小朝師匠の二番弟子、真打に上がる直前の五明楼玉の輔師匠が一緒だった。

 三木助の弟子時代は、小朝門下の前座の兄さん姉さん方には、兄弟弟子のようにいろいろと教わった。週末ごとにどこかしらの落語会で、必ずと言っていいほど一緒だった。

 1998年の夏。鈴本の楽屋ではじめてお会いした小朝師匠に「兄さん、これうちの弟子」と三木助が紹介すると、小朝師匠は少し距離を置いたまま、わたしへ上から下、下から上へと目線を走らせ「そういえば、なんかそのシャツ見たことあると思った」と微笑んだ。

 別に師匠のお古を着ていたわけではないが、ふとしたひと言にも、洒落た売れっ子の師匠だなと内心感嘆した。そんな小朝師匠はとてもいい匂いがした。

 入門翌年だっただろうか。小朝、三木助、その弟子であるわたしたちは、日比谷で催された落語会の楽屋にいた。小朝師匠の事務所の仕事で、街にはクリスマスソングが流れる12月24日……いや25日だったか。

 気のおけない顔ぶれでの落語会に、打ち上げだったが、年末のことで打ち上げも早々におひらきとなり、師匠はわたしの運転するアルファロメオ164の後部シートに、言葉通りに身体を沈めた。

 落語家にとって――に限らず、一年の疲れがどっと出てくる、いわゆる師走だ。そんな疲れとうらはらに日比谷通りはキラキラしている、それもまた年末の東京の変わらぬ景色だ。

 そんな車窓に目をやりながら、師匠がぽつりと独りごちる。

 小朝兄さんが「三木助さん、クリスマスに仕事をしてはいけないよ」って言ってたのにな……。

 わたしはハンドルを握ったまま、聞こえないふりをして前だけを見ていたが、やっぱり、きっと微妙な顔をしていたと思う。

(毎月2日頃、掲載予定)