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うなぎとらくごの味

シリーズ「思い出の味」 第17回

うなぎとらくご

 前職は、鰻裂きの職人をやっていた。

 串打ち三年、裂き八年、焼き一生。さすがに一生はやってられない。そう思ってこの世界に来たが、世の中そう甘くはなく、こっちも同じ。あくまで目安だが、前座四年、二ツ目十年、真打一生。こっちも一生なのである。

 これを冗談でこぼしていたら、とある真打の師匠に見つかる。

 「お前も真打になって弟子を取ってみろ。世話焼き一生だぞ」

 さすが上手いことを言う。家に帰ってよくよく考えてみると、その師匠に弟子はいない。いい加減な業界である。

 落語家と鰻職人は、どこか似ている。

 串打ちにもコツがあり、仕上がりに直結する。手に豆ができ始めてからようやく認められる。背開きも鰻に抵抗されないように、スッと捌く。普段から鰻包丁を研いでいないと、何十匹、何百匹と捌き続けられない。角度を間違えると、刃が鰻の神経に当たり鰻が暴れてしまう。

 親方は包丁の研ぎ方が上手い。時折、親方に包丁を見てもらう。刃のつき方、角度を確認してもらい、その角度ならこの体勢でと指導をもらう。研ぎ方の角度を分度器で測るわけにもいかない。その人の身体に染み込ませるしかない。

 焼きは、一生。炭の質や並べ方、うなぎの油分、タレの具合などで焼き方が変わる。時折、よく焼いてほしいとか、蒸さないで欲しいなんて注文も来る。炭の並べ方も完全に同じ物はない。

 厳しい世界だったが、なかなかに思い出深い。仕入れ先や時期、産地などに変化がある時は、一匹の鰻を焼き上げて、職人たちで一口ずつ食べる。焼き加減や蒸し加減、食感、自分たちの作っているものがどんな具合か確認するのである。これを食べる度に、自分はこんな素敵なものをお客さんに提供しているのだと奮い立っていた。

 何で落語家に転身したのかは、またの機会に。

 お世話になった「日本橋 伊勢定 本店」は、二ツ目昇進を機に連絡するも閉店してしまっていた。というのも区画整備の関係で、一時的に移転をするそう。しかも移転先での開店に二年くらいかかるらしい。

 四年の前座修業は、まるで浦島太郎だ。それだというのに、お土産に玉手箱ならぬ重箱がないのである。今はあの鰻が味わえない。でも、「日本橋 伊勢定 本店」がまた開店した暁には、懐かしの味を求めて足を運びたい。

 落語も観たい時に観ておかないと、観れなくなってしまうかもしれない。立場やキャリアアップによって落語の演じ方も変わってくる。落語は人間の成長や変化を味わうことができる。このエッセイを読んで最近、落語を聞いていないなと思ったら、ぜひ寄席や落語会に足を運んでもらいたい。

 そして玄馬への差し入れには、ぜひ名糖の『アルファベットチョコレート』をお願いしたい。

子どもの頃から大好きなチョコレート!

(了)