三味線と 浪曲唸って 二刀流 弾く手あまたな 伊丹秀敏

「浪曲案内 連続読み」 第9回

三味線と 浪曲唸って 二刀流 弾く手あまたな 伊丹秀敏

浪曲界になくてはならぬ存在だった師匠。ありがとうございました(画:原えつお)

東家 一太郎

執筆者

東家 一太郎

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木馬亭を支え続けた存在

 2025年(令和7年)12月29日、新聞に訃報が載った。

 B・バルドーの隣りだなんて。秀敏師匠らしい、粋でスマートな最期だ。

 佐賀県生まれ。1945年(昭和20年)、浪曲師として二代目 天中軒雲月(後の伊丹秀子)に入門。曲師(浪曲の三味線奏者)にもなり、松平国十郎や東家浦太郎、東家三楽さんの三味線を弾いた。浪曲師としては浜乃一舟(はまの いっしゅう)の名前で活動した。

 訃報は、生まれ故郷、九州の西日本新聞にも掲載された。

 正直、秀敏師匠という人は、亡くならない人だと思っていた。

 2024年(令和6年)の年末に転んで、頭を打って入院。2025年の春過ぎに高齢者施設に入居したが、7月に施設内で浪曲会。三味線を一席弾き、浪曲をひとふし唸り、最後は十八番、美空ひばりさんの「人生一路」を歌った。半年以上のブランクがあっても三味線の手と撥さばき、耳も声も少しも衰えておらず、名人とはこういうものかと驚いた。と同時に、秀敏師匠ならば絶対大丈夫という確信もあった。なぜならば、その芸は常人ではないからだ。

 ご本名は常敏さん、あだ名は「常さん」だけれど。

 昨年、お誕生日の3月8日に予定していた90歳、卒寿記念の会は延期になっていたが、今年3月浦安での公演では、昔の浦安亭という寄席についてのトークに参加していただこうと考えていたし、何より木馬亭定席へのご復帰を、私はずっと画策していた。

 しかし、11月にインフルエンザにかかり、クリスマスイブの12月24日午前11時17分、誤嚥性肺炎のため、施設で亡くなった。

 木馬亭浪曲定席の最後の舞台は、2024年12月5日、浜乃一舟として浪曲「記念の煙草」(曲師 東家美)。12月7日に、曲師 伊丹秀敏として、トリの東家三楽師匠の浪曲を弾いた。

 90歳近くのご高齢だったが、全く歳を感じさせない。歩くのも早いし、つい最近までは、重い三味線を持って駅の階段を駆け上がっていたような印象だった。

 舞台も7日間の木馬亭のうち、5日間は出て、1日2~3席は三味線を弾くというのを、ここ10年くらいやっていただいていた。ご年配を酷使している訳ではなく、それだけ引く手あまたの名人で、浪曲界になくてはならない師匠だった。