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〈掲載記事300本記念〉 柳家さん喬師匠 スペシャルインタビュー【中編】

掲載記事300本記念

マイナー・メジャーの美学

 その考えはやがて、少し変化することになる。

「自分の中で『マイナー・メジャーになりたい』、『道を歩いている時は誰にも知られなくていい。だけど高座に上がった時に分かってもらえるような、マイナーの世界の中でもメジャーになっていたい』、そう思うようになったんですね。

ですから、自分の落語家人生の中では、『影にいる方が楽だった』という気がしますね」

 さん喬師匠の意識の中に「影の落語家」という自分が徐々に認識されていくようになった。

「それは、なんでかと言うと、ズルいんですが、影にいたほうが評価対象にならないで済む。だから、寧久さん(筆者のこと)にしてもそうですけど、いろんな方がこう書いてくださるっていうのは、近年になって『ああ、こんなことまで書いてくれてうれしいな』とやっと思えるようになったんです。

しかし、最初の頃は、何も書いてくれなくていい、聴いてくれた人が『あの人、面白いね』と言ってくれればいいと思っていたんですね」

 だが世間は放っておかない。二ツ目に上がって間もない頃、高名な落語評論家が「文七元結」を絶賛した。

「長兵衛が文七に金を投げつける時、文七が『ガチャーン』という音にハッとして、金だと認識する場面なんですが、『音だけで状況を分からせたのは君が初めてだね』と言われました」

 若い頃から見抜かれていた落語スキル。二ツ目時代から寄席に頻繁に顔付けされ、掛け持ちも任された(今ほど落語家の数が多くなかったこともある)。

「そうすると、やっぱり欲が出るんですよね、人間。こんな噺をやってみたい、あんな噺をやってみたい。これでお客さんが笑ってくれたらとかね。そういう風に考えるようになります」

撮影:編集部

 さん喬師匠は、本音を吐露する。

「だから自分の落語人生は、マイナーでズルズル、ズルズルやって来たら、いつの間にか皆さんが、少なくとも落語ファンの方が『さん喬』って名前を知ってくださっている。

『ああ、そうか、私は噺家として、大成はしてないにしろ、認めてくださるような位置に来たのかな』と思えるのは、やっぱりそれはうれしいし、誇りでもありますよね」

 賞にも恵まれ、さん喬師匠の落語人生を援護し続けた。

 国立演芸場金賞(1984年)、文化庁芸術祭賞・若手花形部門(86年)、選抜若手演芸大賞・真打部門(87年)、浅草芸能大賞・新人賞(94年)、芸術選奨文部科学大臣賞・大衆芸能部門(2013年)、浅草芸能大賞・奨励賞(14年)、国際交流基金賞(14年)、紫綬褒章(17年)、文化功労者(25年)。

 これほど賞に愛される落語家は珍しい。