NEW

ない物ねだり ~小堀さんのこと~

「すずめのさえずり」 第七回

 新宿末広亭の「大旦那」こと北村銀太郎翁の言葉を集めた『聞書き・寄席末広亭』(富田均著/平凡社刊)の冒頭にはこうある。

 「寄席の芸人てのは、もともとてめえの家じゃ糞もできないもんたちの寄せ集まりなんだよ。家なんかもってるもんは一人もいなかったくらいなんだからね。もうみんな厄介もん。道楽三昧(ざんまい)にうつつをぬかした挙げ句、仕様がねえからやってきたなんていうどうにもならない連中ばかりなんだ。」

 今やすっかり世相は変わった。今は芸人も多くが大学を出ており、おしなべて皆きちんとしている。

 そこに行くと昔は、「まるで芸人みたいな」芸人が多かったのだろうと思う。

 そもそも我々古今亭一門の総帥たる志ん生師匠にしてからが、経歴もよくわからない。始めから先代志ん生師匠の弟子だったわけではないのですよ。売れない時代には様々な師匠のもとを渡り歩いていた、というのは、とても現代では考えられない。弟子が師匠を変えるってアリなの?

 志ん生師匠には芸があり、それを磨き続けたのだから、もちろん小堀さんとは全然違うだろう。だが住む世界は「あちら側」の人であることに変わりはないのではあるまいか。

 志ん生師匠の芸は、よく八方破り、破天荒と称されるが、それはセリフが毎回違うとか高座で寝ちゃうとか、そんな表面的なことではなく、その生き方が滲み出ている高座の凄みによるものなのだ。

 人情噺の名作と言われる「文七元結」。多くの噺家が手がけているが、苦労人の師匠のほうが、技術とは別のところで、バクチに狂った挙げ句に娘が吉原に身売りをするところまで落魄(らくはく)した主人公の長兵衛がそこにいるように「見える」。

 歌舞伎にもなっている文七元結。落語が舞台化されると、決まってこれなら落語のほうがいいという声が上がるけれども、私は文七は歌舞伎版のほうが好きだ。

 ああいう綺麗事の噺をするには、落語は演者の個性の影響を受けすぎる。