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シン・道楽亭、誕生前夜から今へと続くキャリー・ザット・ウェイト Part.2

月刊「シン・道楽亭コラム」 第10回

橋本さんとの生前最後の面談詳細

 ちょうどその時、橋本さんは入院中で、週明けに一時退院する予定になっていた。数日後、再入院するということだったので、まずは『一時退院時にお目にかかりたい』。その旨を菊太楼師匠に伝達してもらった。結果、5月21日(火)の午後1時、道楽亭で面談することになった。

 道楽亭を受け継ぐことになって、よく「橋本さんと仲良しだったのですか?」と聞かれることがあった。

 答えは短く、「いいえ」。「客として面識がある程度です。クラファンにも協力しましたけど、最初の方針と違ったので、名前の掲示はお断りしました」。

 当初、21日午後1時に、私にはちょっとした用事が入っていた。そちらをリスケしてもらい、橋本さんに会うことを優先することを、私の脳が私に直感的に命じた。それは正解だった。結果的に、私が橋本さんに会う、その日がワンチャンで、しかもラストチャンスになってしまったからだ。

 もし、生前の橋本さんにお目にかかっていなかったら、私が道楽亭改め「シン・道楽亭」を継ぐことは決してなかった。というのも、その面談の席で、私はある確認を橋本さんにしたためだ。

 そのことに触れる前に、当日の様子の概略から。出席者は、橋本さんご夫妻、菊太楼ご夫妻、そして私・渡邉寧久の5人。場所は道楽亭。車座で約90分。

 橋本さんにお目にかかる前の私の気がかりは、道楽亭がちゃんと運営されていたのか、にあった。“ちゃんと運営”というのは“きちんと儲かっていたのか”ということ。赤字を背負いながら、何かを継続することは難しい。ましてこちらは、商売のド素人。時々、落語会を定期的に主催してはいたが(今も継続中の「同期四人の【HR】」)、道楽亭のような定席となると話は別だと踏んでいた。

 面談に臨む前、私の中には、道楽亭を継ぎたいと前のめりになる自分はいなかった。面談に臨んだ後も、前のめりになる自分は現れなかった。なぜなら希望的な状況や、経営データ的なものが期待するほどつかめなかったからだ。