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老害は老後から始まらない説 ~老害とヒエラルキー思考

「噺家渡世の余生な噺」 第10回

六、フラットという美学

 以前、よく通ったスナックのマスターがいた。偏屈で癖はあるが、不思議と皆に愛されていた。

 店には時おり、若い者のすることを何でも否定する常連が来た。そのたびマスターは言った。

 「酒なんて麻薬みたいなもんだ。麻薬やってる者同士で、偉そうなこと言うな。あるのは“親しき仲にも礼儀あり”だけだ」

 上下ではなく、違い。それを分かっている人だった。フラット思考の持ち主だから愛されたのだろう。

七、私もまた老害予備軍

 二十年ほど前、前座時代の噺である。私の二年後に楽屋入りしてきた後輩と、電話番号を交換した。ほどなくして届いたメールが、これだった。

よろしくお願い
いたしますm(_
_)m

 ガラケーの画面で、絵文字が見事にずれていた。

 私は、なぜか腹が立った。絵文字を使ったこと自体が気に食わなかったわけではない。いきなり使うなら使うで、もう少し気を遣え。どうせなら、

よろしくお願い
いたします
m(__)m

 と、きちんと改行しろ。

――我ながら、面倒くさい。

 そして私は今でも、この話を本人にする。二十年経っても、飽きもせずにする。彼からすれば、これこそ立派な老害だろう。今度、今では私にはタメ口となっている“フラット思考 林家はな平”に確かめたい。

 私は最近、こう思う。老害とは、年を取った人間に与えられる称号ではない。自分の価値観を、他人に押し付け始めた瞬間に発症する病気である。そしてその病は、誰でも、いつでも、かかる。私も。あなたも。

 だからせめて、自分が発症していないか、ときどき振り返る。人の振り見て我が振り直せ、である。それが、噺家渡世の余生を生きる者に与えられた、ささやかな“予防接種”なのだと思っている。

八、そしてまた……

 そしてまた……この文章を読んだ噺家仲間から、こう言われるであろう。

 「またお前の偏った心理学の、屁理屈理論が始まった。お前のその思考こそ、ステレオタイプであり偏見だ。この完全なるヒエラルキー思考のピラミッド型社会に、自分から飛び込んできて、何を言ってるんだ」

 ――ああ、またやってしまった。自分で地雷を埋め、自分で踏みに行く癖は、どうやら治らない。

 それでも私は思う。この噺家渡世という、いわばメゾ・レベルの世界に染まりたいと願いながらも、社会というマクロ・レベルの感覚を、手放さずにいられたことを、ほんの少しだけ、誇りに思っている。

五代目 柳家小志ん 公式ホームページ

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(毎月14日頃、掲載予定)