カレーライスと師匠の言葉 (前編)

鈴々舎馬風一門 入門物語

落語への憧れ

そんな時でした。たまたま手に取ったのが『決定版 五代目柳家小さん 落語名演集』(日本コロンビア)というDVDです。これは観客が誰もいないにもかかわらず、小さん師匠がカメラに向かって淡々と落語を演じておられる、とてもシンプルな内容でした。

その中の一席に『長短』がありまして、“気の長い男”と“気の短い男”が会話をするだけで、派手なストーリーも何もない落語だったのですが、小さん師匠が演じると、そこには強烈なキャラの二人が出てきて、さらに片方を演じておられるだけで、もう片方の男も想像で見えてきます。

「何だ……この掛け合い。一人で漫才のようなことをしてる!」

私には大変難しかった二人での掛け合いを、小さん師匠が一人で成立させていることがとても衝撃的でした。しかも、観れば観るほど、どんどん面白くなっていくのです。

いま思えば、このDVDの無観客という状況が、私には適していたのかもしれません。芸人は、無観客だと非常にやりにくいのですが(コロナの時は大変でした)、それが画面越しで、私に一対一のお稽古を付けていただいてるようで、とても親しみやすく分かりやすい映像でした。

それまで私は、テンションやテンポを上げたり、動き、髪型、衣装、小道具、BGMなど、お客様を楽しませるにはどれを足していこうかと、“足し算”ばかりを考えていました。ところが、小さん師匠の芸は“引き算”で無駄をそぎ落とし、坊主頭にシンプルな着物でどっしり座り、派手には動かずに淡々と語っているだけです。それでいてテンションもテンポも、愛嬌もキャラもすべてて伝わってきます。

「こんな芸人になりたい!」

と、当時は小さん師匠が人間国宝とも知らず、そんなことを思っていました。そして、この思いを知り合いの芸人に話したところ、「それだったら落語家になったら? 修行は厳しいけど、どんなネタも教わればやらせてもらえる世界だよ」との返事。

その時、はじめて落語家になる選択肢が私の中にでき、「落語家になったら、あの斬新な発想のネタや、あの人間模様のネタをやらせてもらえる」「今までのように会話のネタを作っても、落語の芸を借りれば一人で表現できる」「厳しい修行をすれば、私の人間的欠陥も少しは治るかもしれない」と考え、そこから落語家になりたいと思うようになっていきました。