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玉川太福 私浪曲 唸る身辺雑記(玉川太福 著)

杉江松恋の「芸人本書く派列伝 -alternative-」 第1回

浪曲師と曲師、息の合った即興の技

 浪曲を実際にお聴きになったことがない方のため、簡単に説明しておく。啖呵(たんか)と呼ばれる台詞部分と節、つまり音楽的な部分の二つで構成される芸能で、その配分は演者によって違う。関東節と関西節があり、太福は前者である。節を転がすことが眼目ともいえる関西節に比べて、関東節は簡潔で、ぴしゃっと叩きつけるような感じがある。節を唄うことを唸るというが、まとまったものだけではなく、啖呵の途中で一節唸ることもある。たとえば、こんな感じに。
(「休憩時間物語」より。――以下が啖呵、以下が節)

――まずは座頭というのが、わたしにとりまして、芸の上で大叔父さんにあたります玉川桃太郎という師匠だったんでございます。大叔父というのは何かというと!

 師匠の 師匠の 師匠の おおぉぉぉ~ 弟子のことぉぉぉ~(爆笑)

 大事なのは、突然節が挟まるといっても、きっかけが何もないわけではないということだ。上の例で言えば、「大叔父というのは」の後の「何かというと!」の部分は少しゆっくり、活舌をさらに明確にしながら言う。これは横で三味線を弾いている曲師(きょくし)に、「節が始まる」という合図を送るためだ。

 浪曲には楽譜に当たるものがなく、コードで進行しているわけでもないので、曲師は浪曲師の語りや表情から合図を読み取って、しかるべき節を弾く。息を合わせるわけである。さらに言えば「何かというと!」の言い方で、次に弾くべき節がわかるようにもなっている。おかしいのか、切ないのか、カンと呼ばれる高い音程が、オツという低い音程か。それらすべてをアイコンタクトもなしにやってのけるのが、浪曲師と曲師のコンビネーションなのである。

 ということがわかっていると、本書の楽しみは倍増すると思う。ところどころにQRコードがついていて、それを読み込むと太福の節が実際に聴けるようになっているのでぜひお試しを。一度自分で頭の中で節を想像してみてから聴くと、答え合わせのようになって楽しめると思う。