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はじまりはいもや

シリーズ「思い出の味」 第2回

エビは優雅に、イカは軽やかに

 あの頃、今から35年前!?――35年も経ったのか!と書いていて今更過ぎ去った時間の長さに震えるのだが、まだ天婦羅と言う食べ物に特別感があって、スーパーのお惣菜を母が買って来ることもあったが、それらは須らくボテッとしてゴワッとして冷たかった。

 だから猶更、熱々の天丼、まして今目の前で揚げていたのを一部始終見ていてそれが手元に差し出された感動は大きく、手に取ったただの割りばしの木さえ象牙に見える程だ。一寸言い過ぎだけど。

 まずは、エビ。蕎麦屋のカラリサクサクのエビ天も嗜好のツボを押して止まないのだが、天丼のエビは天丼のエビ。別物と考えるべきだろう。サクサクを求めてはいけない。決してそれは否定的な意味でなく、先述の通り、別物と考えるべきなのである。

 湯気立ち上るご飯に乗っているせいもあろうが、しっとりと包まれたエビ。一口かじると感じる衣の優しい歯触り、エビの周りに纏われたカスタードクリームの様な色と柔らかさ。衣と一体となったエビは、ミディアムレア。この柔らかさも至福感を更に高揚させる。

 天婦羅の名人と称される方が「天婦羅は蒸し料理」と仰っていた。はじめは「何言ってんだろ?」と思っていたが、今は「そういうことなのね!」とじんわり納得させられる。エビの甘みもしっかりと残しています。

 そして一番衝撃的だったイカ天。何が驚いたって、噛んだ前歯が熱い! これに尽きる。それまでのイカ天というものは冷たく固く、食らい付くと箸の動きと連動して衣が「サヨーナラー」と本体のイカと離れ離れになってしまう。前歯に挟まれたまま、丸裸になっているイカのなんとも無様で惨めな姿よ。

 それが、それがですよ! かじった刹那、舌でなく前歯がまず「熱っ!」と感じたのです。そして羊羹に包丁が入るが如くスーッと噛み切れたのです。衣と離れることなく。15歳の吉田少年は驚いたね。世の中にこんなイカの天婦羅があったのか!?と。

 熱さと歯触り。未知のイカ天。高校生には刺激が強すぎる。
 今なら「お姉さん、一本つけて」と言いたくなる。

 ほかのキスも海苔も言わずもがなの美味しさ。仕上げに回し掛けられたタレの甘みでご飯も進む。箸休めでカウンターに大根の壺漬けと紅生姜が置いてあるのもありがたい。味が単調になって来たら、サッパリぽりっと口の中をリセットできる。

 ゴマの香りで食欲をそそられ、ご飯とタレの甘みで勢い付いて、更に天婦羅に箸が伸びる。ご飯と天婦羅のエンドレスループ。揚げたての天婦羅をご飯に乗せるので、白米も油で艶やかに光る。

 此処で特筆すべきは、一度たりとも『いもや』の天丼で胸焼けしたことがない。「嗚呼、美味しいは糖と油で出来ているんだなぁ」ミツヲ。

 これだけの感動を与えておきながら500円。高校生でも入れる雰囲気高級店。ありがとうございます! ありがとうございます!! ありがとうございまーす!!!
 大人の階段、三段くらい飛ばして上がれました。

 残念ながら、その懐かしの天丼『いもや』は惜しまれつつ7年前に閉店し、今はもうない。