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夏の日の少年

三遊亭萬都の「マクラになるかも知れない話」 第1回

「いらんことし」と呼ばれた僕の夏の日の記憶

 僕も以前、夏の日の少年であった。

 全開の窓から入ってくる蝉の声で目覚めて、朝ご飯を食べて、顔を洗って、歯を磨いて、あと何日で夏休みになるのかを確認して、小学校へ行く。どこにでもいる、夏の日の少年であった。

 この少年は、高知県四万十町の田舎町で育った。ここではお年寄りたちが、近所の子どもの名前が急に出てこないとか、覚えられないとか言うときに、子どもの特徴で呼ぶことがよくあった。賢い子どもは「かしこ」と呼ばれる。

 「あの子はかしこじゃ」

 いたずらっ子は、「わりことし(悪いことしい)」と呼ばれる。

 「ありゃあ、わりことしじゃあ」

 最近では聞かなくなったので、ある世代間でのみしていたことだったのか、みんな覚えてしまえるくらいに子どもが少なくなってしまったのかわからないが、まあ当時はそんな風にしていて、子どもとしても文句はなかった。

 さぁ、そこで萬都少年がなんと呼ばれていたか?

 「いらんことし」だ。

 これは珍しかった。この少年よりほかに、こう呼ばれている子どもはいなかった。「いらないことをする子ども」と近所中に認識されていたのだ。

筆者の地元、高知の夏

僕たちは、小さな冒険者だった

 この「いらんことし」少年は、ある夏の朝のこと、学校に行く支度をして家を出て、庭の端にある小屋に自転車を取りに行く途中で、ふと側を流れている小川をのぞき込んだ。なんとなく、そうしただけだったのだが、その日その小川に、いつもはいない大きな魚がいた。

 少年は思った。

 「どこ行くんかな」

 これがまずかった。さすがのいらんことしである。冒険の始まりだ。少年は学校に行くのを忘れて駆け出し、一時間以上魚を追いかけていた。恐ろしいことに、体感では15分もなかった。

 魚が大きな川に出るところまで見届けて家に戻ると、母親にこっぴどく叱られた。まあそりゃ、学校に行ったはずの子どもが荷物をその辺に投げ出していなくなったのだから、気が気ではなかっただろう。

 今、子育てをする側になってわかるが、この少年をよく育てたものだ。ありがたい。

 夏の日の少年は、たくさんいた。学校の図書室で同級生のAくんは急にこう言った。

 「おれさ、あの一番高い本棚の上からジャンプできるで!」

 みんな驚いた。

 「そんな! あぶないで!」
 「大丈夫! 見よってよ!」

 Aくんは、一番高い本棚から飛び降りて床にタンッ!と着地した。

 「すごい!」
 「Aくんすごい!」
 「へへっ! なんちゃないって!」

 翌日、Aくんは足にギプスをはめて松葉杖で登校してきた。右足の骨にひびが入ったらしい。彼の照れ笑いを今でも鮮明に思い出せる。

 でも夏の日の少年は、仕方ないのだ。いつだって冒険のスタートラインでクラウチングスタートなのだ。ピストルが鳴るのを今か今かと待っている。フライングなんてお構いなしだ。

 それが夏の日の少年だ。