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〈書評〉 『講談・伝統の話芸』(有竹修二 著)
杉江松恋の「芸人本書く派列伝 クラシック」 第4回
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講談師の知恵と技を解き明かす有竹修二の筆致
有竹修二は1902年(明治35年)大阪府生まれで、慶應義塾大学を卒業後朝日新聞の政治記者として長く活動し、1946年(昭和21年)に退職した後は同紙客員や静岡新聞論説委員などを務め、昭和政治史研究にも没頭した。その傍ら、講談のよき聴き手であり続けたのである。
「釈場通い」の記録からは、大正後期から昭和初期にかけての講釈場の雰囲気を窺い知ることができる。有竹の文章は媚びを売るところは皆無で格調高いが、親しみやすさも兼ね備えている。
それがよくわかるのは第三部「講釈場教室」に収録されたコラム各篇だ。短い時間でさらさらと目を通すことができ、かつ読み応えもある。たとえば「中座読み」の章を見てみよう。
中座の読みはナカザである。現在の講談界には中座はいない。日本講談協会を設立した二代目山陽が、真打に次ぐ身分として中座を設定したことがあるというが、いつまでそれが続いたのか、私は知らない。しかし本来の中座とはそうした固定的な階級ではなく、講釈場での役割を示す言葉だったようだ。前座からだんだん深いところになり、真打が上がる前に中座が登場、その日の興行を締めるのである。
有竹の文章を引用する。ところが経験不足な若手真打などは、達者な中座読みの先生だと慣れた読物を出して完全に食ってしまう。そこで。
――若手の先生としては、それも困るから、まず興行の始まる前に、この中入り前を頼む中座読みの先生をご馳走する。そして、あまり張り切って上手く読まず、適当にだらだらと読んで後座に出る真打を引き立ててもらう――これは、かつての山陽(註・初代)のいったことだが、お客は、真打よりも中座読みの、いかにも講釈らしい味のある読み口のいうにいわれぬ味を喜ぶのである。
第二部「話芸の世界」では、講談師が自ら台本を書くことや、世話講談における啖呵の魅力など、この芸能のさまざまな技巧についての考察が行われる。敬称が「先生」であることが示すように、講談師はもともと歴史的事実や世の中の真理などをお話の形でわかりやすく大衆に伝える、講師のような存在だった。
「引き事」といってさまざまな考証的知識を話の中に盛り込んでいくのは、だから講談師の十八番である。三代目小金井芦州について、こんな逸話が紹介されている。
――あるとき秋元芦州(注・三代目の本名は秋元)が、江戸市中の方々にあった水茶屋のことを、つぎからつぎへと弁じまくったのには恐れ入った。このとき、前の方で一人のお客が、彼のまくしたてる水茶屋の名前をノートしていた。すると高座の芦州が「おいおい君、一々かいてくれちゃ困るよ」と版権侵害をとがめた。にくたいな口のきき方だが、これが芦州の横柄ながら講釈師らしい見識を見せるところであった。