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“施設長X”の献身

「噺家渡世の余生な噺」 第6回

五、制度の穴と人の心

 制度の穴は、Xにとってまさに天の恵みだった。

 補助金は潤沢に降り、人材不足は行政が「対策」を考えてくれる。実習生を受け入れれば感謝され、そのまま採用すれば、今度は求職者の「救世主」として称えられる。

 本来は、人手不足の解消のために採用したはずなのだが、その功績はいつの間にか、Xの虚栄心を満たすための飾りに変わっていった。

 Xは搾取の構造に無自覚ではなかった。むしろ、仕組みを理解した上で、巧みに温存していた。

 だが、その結果はあまりにも明白だった。

 人の老いと暮らしを支えたいと願い、専門性を磨いて入職した職員たちは、現場で待ち受けていた現実に、次第に心をすり減らしていった。

 入所者という名の「Xのお客様」への過剰な迎合、Xに評価されるための献身、そして「お手伝いさんの延長」としか見なされない扱い。

 誇りを持っていた者ほど、傷は深く、去り際は静かだった。疲れ果てた介護職は、その地域で再び福祉職に就こうとは思わない。近隣施設の施設長は顔見知り同士で、地域内での転職には抵抗がある。結局、職員は地域を離れるか、業界を去るしかない。

 X自らは高級車で出勤し、職員は軽自動車で去っていく。その格差を当然のように受け入れ、笑顔で見送る。それでもXにとっては、その静けさこそが支配の証なのだ。

 しかしこれは、Xにとっても業界にとっても不都合ではない。むしろ好都合である。入所者数と介護度で収入が決まる介護施設において、収益の天井はあらかじめ定められている。

 その限られた枠の中で、勤続年数の長い職員が増えることは「コスト増」でしかない。

 だから、適度に経験者が退職し、若手が入れ替わってくれる方が、計算上も、運営上も効率が良い。しかも、長く勤めた職員が他地域や業界に去ってくれれば、内部の実情が外に漏れることもない。

 Xにとっては、これほど都合のいい循環はなかった。

 それでも外から見れば、Xは地域に尽くす「献身的な一族」として称えられる。老いて会長となれば、息子が施設長に座る。制度は変わらず、構造もまた壊れない。

 ――“献身”という名を借りた虚栄と権力の継承。それは、介護という名の聖域に、静かに、そして確かに根を張り続けるのだ。