三味線と 浪曲唸って 二刀流 弾く手あまたな 伊丹秀敏

「浪曲案内 連続読み」 第9回

浪曲史に愛され、刻まれた最高の曲師

 伊丹秀敏師匠の凄さは語り尽くせない。

 秀敏師匠が曲師として弾いている浪曲音源を聴いていただければ、すぐに分かる。

 浪曲界の女王、二代目 天中軒雲月改め、伊丹秀子先生の愛弟子として、子どもの時から薫陶を受けて来た。お兄様、初代 伊丹明(伊丹秀夫)師匠から三味線を教わり、伊丹先生とお兄様の相三味線を長年務めた。

 ほかに相三味線として弾いて来た名人上手は、松平国十郎、中村富士夫、松平洋子、二代目 東家浦太郎。近年は富士路子改め、東家三楽の相三味線として日本浪曲協会会長職を支えた。曲師の弟子や浪曲師で育てていただいた人は沢山いる。

 虎造、米若、梅鶯、勝太郎、ほとんどの浪曲師を一度は弾いたことがあるとおっしゃっていた。

 レコード吹き込みや放送で弾いた数もおそらく一番多い。何しろ芸歴80年ほど、第一線、曲師の王道中の王道を歩んで来られたのだから。浪曲という芸能の歴史は150年。その半分以上を生きた。浪曲史に愛され、刻まれた最高の曲師、浪曲三味線は伊丹秀敏師匠であると私は確信している。

 天中軒福丸という芸名で、北九州八幡の黒崎劇場において、演題「鼠小僧次郎吉」で、10歳の頃に初舞台を踏んだ少年浪曲師。彼は、曲師との二刀流で、90歳手前まで、浜乃一舟の名前で浅草木馬亭の舞台において、毎月一日浪曲を務めたのだ。

 「80歳を過ぎて、ようやく浪曲が分かって来たのよ」

 常に勉強熱心だった。伊丹秀子先生や天津羽衣先生のテープを聴いて、楽屋でも、歩きながらでも、お店の中でも、車の中でも、どこでも節を唸っていた。

十八番は「男の花道」(撮影:関戸勇)

 曲師の昔の名人のテープも聴いては研究していた。浪曲三味線の伝統と独自のモダンな手を融合させ、また何よりも浪曲師が節をやりやすいように弾いた。これは実際に秀敏師匠に弾いてもらった経験がないと分からないかもしれない。初めて弾いてもらうネタで、稽古で一回目うまく合わなかった時、「もう一回やってみて」と二度三度と合わせただけで、完璧に呼吸を合わせて弾きおおせる。

 名人が名人たる所以だ。

 お亡くなりになったと連絡をいただいて、翌日、秀敏師匠に会いに行った。しばらく会えていなかった。いつもの秀敏師匠と変わらないようでもあり、また神々しさも感じた。よくウチの師匠たちに「亡くなっても手だけは置いていってね」と冗談まじりに言われていたのを思い出し、手を握らせていただいた。三味線を弾いていた手だ。

 「あゝ、秀敏師匠は亡くなっても、手をあの世には持って行かなかったんだ」と思った。弟子の東家美に浪曲三味線の手を遺してくださった。