〈掲載記事300本記念〉 柳家さん喬師匠 スペシャルインタビュー【前編】

掲載記事300本記念

2日の夜は大宴会

 そんなご縁から、当時二ツ目のさん喬師匠に、小さん師匠の仕事が下げ渡されたことがあったという。

「鳶の頭の新年会で、『お前、来年から行け』って、任されたんです。嫌なもんですよ。(幹部だけが着用が許される)赤い筋の入った半纏を着ている方々がずっと、30~40人並んでいて、落語をやったって笑うわけないじゃないですか(笑)。

終わったら『おお、ご苦労さん、まあ一杯おやり』『少ないけど、取っときな』って、恐る恐るいただいて(笑)。そういう覚えがありました。師匠のおかげで、そういう席に出させていただけたわけです」

撮影:編集部

 元日に続く1月2日は、小さん師匠の誕生日だった。「2日の夜になると今度は大宴会」と、さん喬師匠は当時を回想する。

「藤山寛美さんがお見えになりましたね。当時は必ず寛美さんが(新橋)演舞場で興行を打っていたので、それが終わると来られたんです。

ジミー時田さん(カントリーミュージックの歌手)や内海桂子・好江さんもご一緒にいらしたり、俳優さんや歌手さんもちょこっとお顔を出してお帰りになっていました。それでも大宴会がお開きになると、正月気分は2日でおしまいでしたね」

 その後も年始客がいらっしゃると、玄関先で受付をして、手ぬぐいをお渡しして、という役目に小稲時代のさん喬師匠は徹した。

 小さん師匠の流儀を体内に入れて修業したさん喬師匠は、その都度、増える弟子とも向き合って来た。

「コロナの前までは、噺家の吉例として、やるべきことだけは師匠と同じようにやって来ました」

 現在は直弟子が11名、孫弟子1名の大所帯になった。小さん師匠のような、定番のあいさつはないそうだ。ただし、

「暮れに集まった時に、よく言います。『お前、今年一年こうだったな、ああだった』とか、『お前のそのやり方だと、あれだよ、人に好かれないよ』とか。一人ひとりの人間性に対して結構、言ったかもしれませんね。

そういう人として何が大事かってことは話しましたけど、そう言えば芸のことはあんまりしゃべらないですね」

撮影:編集部

 

 人として何が大事か。さん喬師匠は小さん師匠に「人を磨け」ということを徹底的に叩き込まれた。そのあたりの話や芸について徹底的にダメ出しされてへこんだ話は次回、中編のインタビュー記事でお伝えします。

インタビュー後、末廣亭の前で(撮影:編集部)

(一部、敬称略)

渡邉 寧久(わたなべ ねいきゅう) 演芸評論家・エンタメライター。栃木県宇都宮市出身。新聞社文化部記者、テレビ局エンタメウェブサイトの記者・デスクなどを経て現職。文化庁芸術祭の審査員を委嘱されたことをきっかけに、数々の演芸賞の審査に関わる。文化庁芸術選奨、浅草芸能大賞、花形演芸大賞の選考委員などを歴任。台東区が主宰する「江戸たいとう芸楽祭」(名誉顧問ビートたけし)の実行委員長を務めている。執筆・監修本に『落語家になるには』(ぺりかん社)、『落語入門』(成美堂出版)、共著に『十八番の噺 ―落語家が愛でる噺の話』(フィルムアート社)がある。「東京新聞」、演芸ウェブメディア「話楽生Web」等に連載多数。2025年8月より、東京新宿二丁目のミニ演芸場「シン・道楽亭」の運営にもかかわっている。

中編に続く)

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