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2026年2月のつれづれ(沢村豊子を偲ぶ会、玉川奈々福の徹底天保水滸伝、帯広浪曲学校)

月刊「浪曲つれづれ」 第10回

帯広に浪曲あり

 少し遡って1月25日、北海道・帯広市で帯広浪曲学校の「吉例新春鏡開き浪曲大会」が行われた。なんと第98回である。帯広浪曲学校は1928(昭和3)年、完全なアマチュア浪曲ファンのための学校として原型が創設された。翌1929(昭和4)年に第1回の新年発表会が開かれる。これが現在も続く同校浪曲大会の始まりとなった。

 非売品の記念誌『帯広浪曲学校創立80周年記念誌』によれば、初代校長の潮田左近は1923(大正12)年に上京、四代目小金井蘆州・桃川若燕に習って技芸士の資格を取るが、本人は講談よりも浪曲のほうを得意としたらしい。興行師としてしばらく各地を巡業し、1927(昭和2)年、帯広に戻って定住、古本屋を始め、翌年に浪曲学校の元になる浪曲潮田会を開いた。

 会の理念はアマチュアに徹すること、家庭と生活を大事にすることで、プロになろうとする者はいられなくなったという。父の代から興行に生きていた潮田ゆえ、その辛さをよく知っていたのだろう、とは現在の副校長である潮田月若の言葉だ。帯広浪曲学校は、その教えを忠実に守り続けてきた。

記念式典で式辞を読む潮田武校長

 2026年の吉例新春鏡開き浪曲大会は、帯広市市民文化ホールで開かれた。生徒たちの浪曲の合間には大正琴や剣舞なども挟まれ、変化があって見やすい。月若によればこの日の観客は300人程であったそうだ。

 一応浪曲のみ、浪曲師と外題を書いておこう。石田秀子「夢の芝浜」、藤井洋子「おしん」、潮田邦胡「母と子の窓」、潮田博若「南部坂雪の別れ」、潮田春明「竹の水仙」、潮田浦太郎「借金奉行」、潮田快晴「父帰る」、潮田月若「天王寺の眠り猫」、潮田武(四代目校長)「大石東下り」である。学校生徒はある程度の年月が経つと名披露目として初代校長の姓である潮田を貰うならわしになっている。

 生徒の浪曲をすべて弾くのが、その潮田月若、いわゆるたて弾きである。その月若も浪曲師として舞台に上がるわけなのだが、そのときはどうするか。コンピュータソフトで三味線の音を使って作った伴奏を流し、それに合わせて口演するのである。現在、大阪の真山一門が演歌浪曲としてオーケストラ収録の浪曲を演じるのに似ているが、オペレーターなしなので途中でつっかえたら合わなくなってしまう。浪曲三味線の音符化という難度の高いことに挑戦している点にも注目されたい。

 月若によれば最も弾きやすい、つまり相三味線の関係にあるのはやはり武校長だという。二人の息はぴったりで、さすがの「大石東下り」であった。

 2年後に100周年を迎えるとき、何か特別なことをやる予定はあるか、と校長・副校長に訪ねてみた。その予定はなく、いつも通り普通の会を開く、というのが答えである。なるほど、そのほうが帯広浪曲学校らしい。私もその日には帯広を訪ね、100年の歴史に思いを馳せてみたいと思う。

(以上、敬称略)

(毎月9日頃、掲載予定)