旅路はすべて酒のなか

三遊亭司の「二藍の文箱」 第2回

ひと駅ごとのさようなら

 静かな朝の町に似つかわしくない、ガチャガチャとした金属音に目を覚ます。富山駅前の朝。路面電車が軌道敷内を曲がる音だ。かつて東京にも四方八方に都電が走ったが、路面電車のある街はどことなくのんびりしている。

 富山駅から路面電車で10分ほどの小泉町で鱒寿司を買い、駅前でバイ貝の刺身、昆布締め、黒づくりなどを買い込み、列車の出発を待つ。大きな鞄はそのためだ。酒は砺波(となみ)・若鶴酒造のイトナミ。

 13時8分発、特急ひだ14号名古屋行きは、定刻から10分ほど遅れて富山を発つ。この旅の目的は、この特急ひだでもある。それにしても、どこの国というわけでもなく、海外からの旅行客ばかりだ。そして、大袈裟でなく、全員高山で降りてしまった。

 船旅の別れは、ゆっくりとした惜別感がある。飛行機は、気づくとその地を見下ろしている。飛行機ほどではないが、車もあっさりその街を離れてしまう。そこへいくと、いつもは通り過ぎるだけの街から街、越中八尾、猪谷(いのたに)へと富山にさようならを言うように特急ひだは走っていく。

 特急ひだは、ディーゼルエンジンと蓄電池を組み合わせたハイブリッドで、環境に配慮されているだけでなく、車内モニターで状況を知らせてくれるのもおもしろい。

 手洗いに立った時に、木彫りの達磨(だるま)が目についた。おやと思い、車内を歩くと木彫りの福助がちょこんと手をついて座っている。地元の彫刻、一位一刀彫だそうだ。飛騨山添の住人で……左が利くから左甚五郎、いや、そうじゃない、飛騨の甚五郎がなまって左甚五郎。飛騨高山は大工の本場だ。

 甚五郎物は、先師の実父・三代目桂三木助が得意とし、また、亡くなるほんの三月前にも飛騨高山を旅している。その時、道具屋で古い小振りの梯子を買って東京に送っている。

 目を田端の師匠から車窓に戻す。

 朝まで降っていた雨が、きれいさっぱり山の緑を洗っていた。列車は宮川につかず離れず走っていく。宮川はやがて神通川となり富山湾にそそぐ。高山をのぞき、ほとんどが山間部で、高山を境に宮川から離れ、飛騨川。飛騨川から木曽川、こちらは三河湾へと流れてゆく。

 高山本線は、飛水峡(ひすいきょう)を抜け美濃太田を過ぎるころ、すっかり山を抜けていた。これから岐阜に出れば、名古屋も目前。名古屋でこの旅の総仕上げ。

 東京へ戻る新幹線まで一旦荷物を預け、地下鉄で伏見へ。明治40年創業の大甚(だいじん)へ。予約できるとは知らなかったが、できるなら旅の〆は百年酒場で。生ビールに賀茂鶴の樽酒。前日、新宿を発つこと34時間。よく乗り、よく飲んだ。

 逃すまいと乗った新幹線は、こだまでもグリーン席は快適だ。なんて思っているうちに、起きたらすでに多摩川を越していた。旅ももう、終わりである。