講演依頼への葛藤 ~噺家の矜持

柳家小志んの「噺家渡世の余生な噺」 第4回

五、師匠の言葉と立ち位置

 とはいえ、過去の経歴を前面に押し出す噺は、今も気恥ずかしい。

 芸歴二十年を過ぎても、「あの人は一体、どんな人生を歩いてきたのだろう?」という一種の神秘性――をまとっていたいという思いが拭えない。

 落語だけで、飯が食えている。それだけで十分幸せだし、ありがたいことだ。お客様もありがたい方ばかりだ。「お客の品格は、噺家の品格を映す」と言うが、なるほど、私の会に来てくださる方々は、みな穏やかで品がある。だからこそ、私はもっと落語で多忙を極めたいと思ってしまう。その姿を見ていただくことこそが、最高の恩返しであると思っている。

 だが現実には、講演の依頼を多くいただいている。これが私の積み木であり、個性であり、噺家の中での唯一無二の存在なのだと思う。

 釣りや鉄道の趣味を噺に活かしている同輩もいれば、漫談を得意として生きている者もいる。私はといえば、福祉や医療の噺を高座に乗せることもできる。だが、これは簡単なネタではない。寄席の空気には合わないし、笑いに変えるには、何重ものフィルターが要る。

 老い、死、介護――それらを軽妙に話すには、覚悟と技術が要る。

 私がこの世界に入った理由はただ一つ。師匠・柳家さん喬の高座に惚れたからだ。あの品のある本寸法の落語がやりたかった。

 地方の独演会では、旅気分に助けられて、漫談や講演ネタを落語に混ぜることもある。助演の同輩に「そっちの路線でやれば、売れるのに」と言われたこともある。新聞に「お得意の漫談で爆笑」と書かれたこともある。私の漫談は“売り”になるのか。

 以前、思い切って師匠に、噺家としての方向性と講演仕事との葛藤を打ち明けたことがあった。師匠は、こう言った。

 「それが君の売り物じゃないか。漫談でも講演でも依頼が来るなら、それは君の強み。求められて羨ましいよ。僕には落語しかない」

 そういう捉え方もあるのか、と思った。そう思う一方で、どうにも講演の仕事は気恥ずかしい。不器用な性分なのだ。講演では、照れ隠しで変化球が投げられるのに、落語は正面突破しかできない。

 かつて、ある師匠がこんなことを言っていた。

 「食っていくためなら、自分の立ち位置で努力せよ」

 野球に例えれば、足の速い者は一番打者、バントが巧い者は二番打者、守備が巧ければ要のポジションを取れ、ということだろう。ただし、その師匠自身は、エースで四番、監督も球団オーナーも兼ねていたような噺家だったが。

六、「柳家巨乳」事件と立ち直り

 私は何でも突き詰めてしまう性分だ。

 噺家になってからも、精神保健福祉士や自動車二種免許を取り、時間があれば興味がある社労士や宅建、旅行業務取扱管理者、MOSなど、まだまだ挑戦したい資格が山ほどある。

 「噺家なら、落語を突き詰めろ」と言われる。だが、それでも私は講演依頼を受ける。私の立ち位置がここなのかもしれない。

 それでも、うまくいかなかったこともある。二ツ目時分のある日、スマホで仕事のメールを確認していた。公共団体からの講演依頼だった。日程も、講演料も明記されていて、内容も申し分ない。その場で返信を書き、承諾の旨を入力し、最後に名前を入れようとした。

 お得意の早打ちで「や」と打つと、予測変換で「柳家」が出た。流れで確定を押す。ここまでは良かった。

 次に二ツ目時分の名前「喬の字」と打とうとして、「き」と打った瞬間、予測変換の一位に「巨乳」と出てきた。いつもの早打ち癖で指が自動的に確定を押し、その流れでそのまま送信をタップしてしまった。

 ──『柳家巨乳』

 しばらくして返ってきたのは、「返信拝受しました。部署内で再検討いたします」という返事だった。

 ……再検討、という言葉の意味は、私も知っている。今もって、その先の返事はない。「すみません、予測変換でして」とは言えなかった。言えば、普段からその言葉を使っていることになる。送信取消ができる世の中であれば、私の人生にも違った講演の一席があったかもしれない。

 次回は、「講演内容の時代的推移」について、真面目に語ってみたいと思う。

(毎月14日頃、掲載予定)