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食べ物が詰まった、師匠桂三金の思い出と棺桶
シリーズ「思い出の味」 第11回
- 落語
焼肉は落語
私はその後すぐに晴れて弟子となりまして、師匠のもとでの修行が始まりました。
それからは師匠の凄まじい食べっぷりを毎日、目の当たりにすることになります。お昼ご飯、晩御飯、打ち上げの席、楽屋のケータリングなど、入門志願をした日のビフカツとパンのような衝撃が段々と当たり前になるように。
そして、たくさん食べる師匠を見て、周りの人はみんな笑顔になっていました。師匠に食べてもらおうと変わったお菓子を持ってくる芸人仲間、美味しいものを召し上がってもらおうと素敵な食事の席を設けるスタッフさん、食を通じて師匠の周りは常に楽しく明るい空間になっていました。
そして、ただ食べるだけではなく、たくさん食べる太ったキャラクターを確立し、芸に活かす凄さも目の当たりにしました。太った人の苦悩や、あるあるを落語にしたり、古典落語に出てくる幽霊が太っていたりなど、他の人には真似できない唯一無二の表現をして客席がうねるような笑いをとっていました。
お芝居のお仕事の時も、師匠は太った身体を活かす役をもらい、必ずお客さんから爆笑をとっていました。師匠が笑いをとれるから役を安心して任せられる、そのおかげでお芝居の満足度がグッと上がる、と仲間内からも大絶賛。
お客さんにも同業者にも愛される太ったキャラクター、その個性を存分に発揮する芸。師匠にとって食と芸は密接な関係でした。

そんな師匠の芸の教えは、今でも強烈に覚えています。
ある日、師匠と焼肉を食べていた際、私は激しく怒られました。その理由というのが、塩タンをタレにつけたからでした。
師匠は食べ物の中で特に焼肉が好物で、一番美味しい状態で肉を食べたいという思いから、ご自身で焼き、誰にも、弟子である僕にも決して焼かせませんでした。8月29日は、「焼肉繁昌亭」という落語会をして打ち上げは焼肉、焼肉柄の着物も着たりして、周りの人も「三金=焼肉」という認識でした。そんな師匠の前で、しかも師匠が焼いてくれた塩タンを、タレにつけてしまいました。
すると師匠は激しく怒り、「生産者さんが牛を大切に育て、色々な工程を経て最高の状態で我々の前に出てきた肉を、なんで最後の最後で台無しにするんや!」
続けて「ネタの運びも一緒や。セリフや表情で物語を最高の状態で運ぶ。最後まで油断したらあかん。それと一緒や!」
そして最後に「肉の焼き方も、いちいちひっくり返さず間を大切にする。これができないと落語で堂々と自分の間を保つこともできない! お前はそれをわかっていない!」
この日から私にとって、焼肉がただの食事ではなくなりました。「焼肉と落語は一緒」という、食と芸が結び付いている師匠ならではの教えでした。