君は『浪曲天狗道場』を知っているか

「浪曲案内 連続読み」 第5回

浪曲の魂は死なず。大師匠から受け継がれた浅草の灯

 最後にもう一つのエピソードを。1972年(昭和47年)11月18日放送の『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』で、「もう一度聞きたいラジオ番組」という特集がありました。その中で、葉書による投票のずば抜けての1位が『浪曲天狗道場』。

 「亡くなった母が好きでした」「結婚する以前、実家の父が好きでした」という葉書の言葉とともに、永六輔さん(早稲田中高、私の大先輩です)が、木馬亭と大師匠東家楽浦について語っていました。

 昨日雨が降っている最中、僕は浅草の木馬館に参りました。木馬館は今、浪曲の定席をやっています、浪花節をずっとやっています。で、東家楽浦さんという、浪曲の世界ではいま最年長(当時74歳)、本当に元気な楽浦さんが、本当に見事な浪花節を、5人のお客様の前でやっていました。つまり浪花節はブームでも何でもないと、マスコミがまた浪花節が復活したとか色々云うけれどもそうじゃないんだ、ご覧なさいこの客を、これだけの客しかついて来てくれないという、70歳を過ぎて、元気な楽浦さんが嘆いてらっしゃる。定席なんだからいつ行ったってあそこで浪花節が聴けるのに。

 東家楽浦が木馬館の席亭に相談して、1970年(昭和45年)5月に始まった浪曲定席は、今年55周年です。楽浦師匠は、1978年(昭和53年)4月に80歳で亡くなっています。私は、その年の10月に生まれました。

 ラジオからテレビの時代に移り、浪曲人気が低迷してきた時代から今まで、浅草の木馬亭が浪曲定席、浪曲の寄席として、浪曲を守り続けてくださっています。木馬亭を愛し続けてきた師匠浦太郎と大師匠東家楽浦にならって、私一太郎も10年以上、浪曲協会で木馬亭担当を務めさせていただいています。

 おかげさまで、お客様の数もコロナ禍の前の数字に戻り、とても順調です。でもそれは、足を運んでくださるお客様あってこそ。木馬亭席亭のお力、先人たちの努力の積み重ねの上にあります。

 文化庁と日本芸術文化振興会の助成金もあればこそ、定席が続けられます。恩を忘れて、あぐらをかいているようではそれこそ天狗。とんでもなく芸の上手い楽浦師匠が出演しても、お客様5人だった時もあった。名人が出ているのになぜ?と不思議でしょうがありませんが、過去があって現在がある。

 「プロの浪曲家として、今いらしているお客様に、ご満足いただける舞台を常に務めていかなければいけないよ」と、楽浦師匠が警鐘を鳴らしてくださっているような気がしました。

(毎月15日頃、掲載予定)