NEW

第三話 「内輪ノリ」

「令和らくご改造計画」

#2

 では、「落語」と書かれていないと、どうなるのか。

 一例を紹介すると、数年前、私の高校時代の友人がチラシに「勉強会」と書かれた落語会に来てくれたことがあった。

 しかし、彼はなんと――ペンとノートを持っており、自分が勉強する気だったのだ。

 彼を笑うことは決してできなかった。はっとして、当該のチラシを改めて見てみると驚いた。これまでなんとも思っていなかったが、どこにも落語を口演するという旨が書かれていない。日時・場所・予約方法……以上だった。

 彼の目線に立ってみて、はじめて思った――一体、これは何のチラシなんだ!?

 これがきっかけで、いまの私は「勉強会」という表現をなるべく避けている。

 つまり我々は、知らず知らずのうちに「内輪ノリ」を垂れ流している。高座の発言に気をつければOK、という話ではないのだ。

 長くこの業界に関わっている芸人も、イベンターも、そして常連の客も、すっかり感覚が麻痺してしまっている。

 「落語を知らない外の人」からどう見られているか――そこに鈍感になってしまっているのだ。

 ――非常に大きな問題である。演芸界の抱えるさまざまな問題も、元を辿れば根源的な原因として、この「意識の欠如」が含まれているはずだ。

 やはり、落語の未来のためには、この問題を避けて通ることはできないだろう。

第三話 「内輪ノリ」――