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残された街と残された人と

「二藍の文箱」 第6回

落語とふたりづれ

 珍客到来。

 小唄の師匠も飛び込んで来た高校生に戸惑っていた。小唄は、お座敷で歌われるしっとりとした歌だ。男女の機微を扱ったものもすくなくない。

 ちょっとした寝癖は枕のせい
 それをあなたに疑られるなんて

 学校の廊下を鼻歌交じりで歩いている。粋も過ぎれば野暮になるの典型としか思えない。高校はやたらと生徒の自由と自主自立を謳う、ユネスコの指定校だった。これも反動でわたしはその頃、国粋主義に傾倒していった。昨今の保守とは、また、違ったものだと考えている。

 そんな感じのまま、四代目桂三木助に入門した。そこで、柳家喬太郎兄さんから賜ったあだ名が「小粋な右翼」。世間にハマるところのないヘンテコな高校生にも、居場所があった。

 確か「神様わたしに落語を授けてくださりありがとう」と言ったのは、この『二藍の文箱』であったはずだ。ほとんど馴染むことのなかった、すくなくとも高二の二学期まで友人という友人がひとりもいなかった高校生活だが、いつも側には落語があったので、ひとりでいる不自由さは別になかった。

 逆に言えば、いつも落語とふたりづれだった。

 それはいまでもそうで、三遊亭司という落語家を、わたしが好きでいる以上、誰もいないということはあり得ない。

 人形町の師匠の声を懐かしく聴く。

 師匠の節で『八重一重』を、わたしは歌う。お師匠さんの声に、お師匠さんの三味線。師匠宅の引戸を開けると、正面に銭湯の横の塀。それを左に出て、湯屋の角をついて右に曲がり、世界湯の前を通ると、すぐに甘酒横丁にぶつかる。

 それとは反対、左に行って路地を入ればおでん屋があり、喇叭の音が聞こえれば、きっと豆腐屋の自転車が停まっている。

 様子を変えた街中で、ふと、立ち止まる。
 さて、お師匠さんのおつかいはなんだったっけ。

▲「小唄 八重一重」(演奏:とよ菊美 紫沙、YouTubeより)

(毎月2日頃、掲載予定)