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映像思考で編む、新世代講談 田辺一記(前編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第31回

映像表現の行き詰まりと転機

一記 学生の時にCD屋さんでバイトをしていて、一緒に働いていた人から噂を聞いて見に行くようになったんです。その人の知り合いが8mm映画の監督で、上野さんを撮影していたんです。

一記 「入門しました」と話したら、「バカだね」と言われました(笑)。

一記 なんだったんだろう……。ハッキリ思い出せません。そこまで意識して聞いていなかったのかもしれません。講談師を初めて生で観たという経験としては、〈ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京〉で、「レバノン1949」というホームムービーフィルムの上映に、琴鶴先生(当時は宝井琴柑)が講談を付けられていたのを拝見したということがありました。10年前くらいことです。

 まだ入門など全く考えていない時期でしたが、「講談付き上映」ってなんだろうと思って観に行きました。自分の中のドキュメンタリーと講談の結び付きに多少つながっているような気がしています。

一記 大学では映像を作っていて、卒業後も細々と作っていましたが、それを表現手段としていくことに行き詰まった時に、講談をやってみたいという気持ちになったんです。私が行っていた大学ではフィルムを重点的に扱っていました。当時、既にデジタル隆盛ではあったので、他大学と比べると珍しかったと思います。私はフィルムを触るのが好きでしたが、やはりデジタルでもやらざるを得なくなって、そうするとかえってできることが多すぎて扱いづらく思えてきて、しんどくなってしまったんです。

 その点、話芸はシンプルで、身一つで表現できます。だからこそ難しいところも沢山ある訳ですが……。私はドキュメンタリー映画が好きで、作ったこともありましたが、被写体を自分なりに消化できなかったりしました。ドキュメンタリーは、現実・事実そのものではありません。撮影者が介入した時点で違うものになる。「ドキュメンタリーはフィクションだ」とか、「ドキュメンタリーは嘘をつく」とか言われますが、それって何だか講談と似ていると思います。入門を考え始めていた頃、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行って、山形の街を歩きながらずっとそんなことを考えていました。

 それで色々な講談会に行くようになって、新作をやってみたいなと思うようになりました。その中でも師匠の(田辺)一邑の語り口が好きで、入門させていただきました。